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閑話:午前10時のアクアリウム (8)

イルカショーの興奮冷めやらぬまま残りの館内を回り、お土産を買って帰路につく頃には、もう空の色がだいぶ濃くなっていた。 一歩外に出ると冷たい空気が頬を刺し、ふわふわと残っていた余韻があっという間に消えてしまう。 名残惜しかったけれど、まさか水族館に泊まるわけにはいかない。 記念にと出口の前で一枚だけ一緒に写真を撮ってから、俺たちは海の世界に背を向けた。 帰りの地下鉄も、日曜日の夕方らしく人がせめぎあっていた。 佐藤くんが、ちょうど2人分の隙間を見つけて俺を押し込む。 車両が揺れるたびに、佐藤くんの大きな手が俺の腰を引き寄せて支えてくれる。 なんだかそれがとても照れくさくて、見上げたらすぐそこにあるはずの佐藤くんの顔も見られずに、俺はずっと俯いていた。 あまりに距離が近すぎて、どんどん速くなっていく心臓の鼓動が佐藤くんに聞こえてしまいそうだ。 髪をかすめる佐藤くんの吐息が、朝からずっと心の奥で燻り続けている熱を確かなものにしていく。 今すぐ触れたくて、でも触れられないもどかしさに思わず身震いすると、俺を抱く佐藤くんの腕に力がこもった。 地上に出ると、群青色の空から、細かい水の粒が降ってきていた。 今朝チェックした天気予報では、降水確率はたったの10%だったのに。 運がいいんだか悪いんだかわからないな。 俺の言葉に、佐藤くんが曖昧に微笑む。 どうせすぐ止むだろうと踏んで、傘を買わずに家路を急ぐ。 でも、雨足は弱まるどころかどんどんその激しさを増し、ついにはザーザーと濁音で俺たちを濡らし始めた。 佐藤くんが、俺の左手を握り、色の濃くなった地面を蹴る。 空から落ちてくる雨は氷のように冷たいのに、佐藤くんの右手は、燃えるように熱かった。 たった3ブロックの道のりだったのに、すっかり濡れ鼠になってしまった。 全身から水滴を垂らしながらマンションに駆け込んだ俺たちを、田崎さんが立ち上がって迎えてくれる。 今タオルを、と言いかけた田崎さんの言葉を遮るように、佐藤くんがそのままの勢いでエレベーターに飛び乗った。 すっかり色が変わってしまったハンチングハットを脱ごうともせず、淡々と増えていく数字を見つめている。 なにか声をかけたくて、でもなにも言えなくて、俺はただ、繋がったままの佐藤くんの右手をぎゅっと握った。

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