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5ー1:午後0時の乱 (4)
「カルボナーラなんか家で作った方が絶対美味いじゃん?」
「……」
「まさかまだ卵が固まっちまうとかそういうレベルなのかよ!?」
「……うるさい」
「しょうがねえなあ。来月こっち戻ったらさ、また作りに行ってやるよ」
わしゃわしゃ。
理人さんの髪が、また乱される。
「木瀬 さーん!」
「おー悪い。今行く!」
開いた扉の隙間から届いた焦りの混じった呼びかけに爽やかに答え、理人さんにカルボナーラ入りの袋を差し出す。
どこかホッとした様子で受け取る理人さんを見守り、踵を返しかけて、でもすぐにジャケットを翻して振り返ると、理人さんの襟口を掴み強く引き寄せた。
カルボナーラが袋から滑り出し、ドサリと落ちる。
その人は、至近距離に迫った理人さんの頬を両手で包み込むと、額と額をコツン、と合わせた。
「……っ」
「んじゃ、また夜にな」
俺がゴクリと喉を鳴らした時にはもうふたりの距離は元どおりになり、その人がひらひらと手を振って去っていくところだった。
心臓がものすごい速さで動いている。
びっくり、した。
キス、するかと思った。
なんだったんだ、今の。
誰だったんだ、今の。
理人さんを見ると、唇を尖らせて、左手の指でそっと額をなぞっていた。
まるで、そこに残った熱を確かめるように。
「理人さん……?」
「あっ……あ、あ、あー……うわ、落ちてる!」
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫……大丈夫、うん。……大丈夫」
自分に言い聞かせるように同じ言葉を繰り返しながら、理人さんがカルボナーラを拾い上げる。
「よかった……破れてない」
理人さんが、俺に微笑んだ。
でも、その瞳がゆらゆらと揺れているのに気づいて、俺はなにも言えなかった。
「じゃあ、その、また……あとで」
「……はい」
背中を向けて去っていく理人さんの足取りが、左右に振れていてどこかおぼつかない。
その後ろ姿に、胸がきゅうっと締め付けられた。
やっぱり、あの人はただの同僚じゃない。
誰なんだ。
あの人は、いったい理人さんの――なんなんだ。
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