205 / 492
5ー1:午後0時の乱 (6)
な、んだって?
「セフレ?ではないか。あいつそういうの嫌がるしなあ」
「なんの話ですか……?」
「アハッ、しらばっくれる?あ、そっか。理人のためか。大丈夫大丈夫。あいつがゲイなのは昔から知ってるから」
努めて平静を装って絞り出した俺の声は、掠れていた。
それをかき消すように、低い声が嘲笑う。
わざとらしいヘラヘラした口調と笑顔に、虫酸が走った。
そうか。
この男は、俺と理人さんの関係に気付いているのか。
それなら俺にはもう、隠す理由はない。
「なんでわかったんですか」
「そりゃわかるでしょ。理人がお兄さんのことあんな目で見てんだから」
「あんな目?」
「君のことが好きで好きでたまんねえ!って目」
「え……」
「昔、俺に向けてきてたのと同じ目 」
不自然な弧を描いていた男の口が、真一文字を描いた。
緩んでいた頬を引き締め、ギラギラと挑戦的な瞳で俺を睨んでくる。
急に負の感情をぶつけられて、思わず喉仏が動いた。
それを見て、男がにやりと口の端を上げる。
まるで、してやったり、とでも言うように。
「お兄さん、名前は?」
「……佐藤、です」
「それは名札見ればわかる。下の名前は?」
「英瑠です」
「へえ……」
男は、僅かに片眉をあげた。
そして、俺から視線を外さないままジャケットの内ポケットを探り、小さな紙切れを取り出す。
俺は、見覚えのある橙色のロゴが目立つ長方形のそれを見下ろした。
規則正しく並ぶ文字を、ただ漠然と視界に入れる。
そのまま手を出さずにいると、男がフンと鼻を鳴らして名刺をカウンターに置いた。
「木瀬 航生 。2月から理人の隣の課の課長に就任予定」
「そうですか」
だからなんだよ。
おめでとうございます。
本社の課長なんて栄転ですね、とでも言ってほしいのか。
すごいですね。
参りました。
そう、言ってほしいのか。
「お兄さん、今夜あいつとなんか約束してたりする?」
「……」
「してるんだ。そりゃいいや」
男――木瀬航生が、今度は黒く光るスマートフォンを取り出し、慣れた手つきで操作し始める。
左手で黒い短髪をかき上げながら、右手の親指を素早く動かした。
「今日さ、フライング歓迎会なんだよ、俺の。ま、要はただの飲み会だから、理人は不参加らしいんだけど」
「酒飲めないからでしょ」
「プハッ!なに、その露骨な感じ?そんなの知ってるっつーの」
「……」
「でもだよ?ここで俺が『理人が行かないなら俺も行かねえ』って言ったらどうなると思う?」
「……は?」
「ほら」
木瀬がスマホを手の中でひっくり返し、やたら眩しい画面を俺に向けてくる。
『今夜のやつ、理人が行かないなら俺も行かない』
まるで小学生が作ったような文面がそこに映し出されていた。
それはショートメールで、画面の一番上には『まさと』と表示されている。
メッセージはすでに送信済みになっていた。
「理人、君との予定を優先してくれるといいな」
なに、言ってんだ。
なに言ってんだ、こいつ!
唇が、わなわな震えた。
カウンター越しでなければ、木瀬の顔を殴り飛ばしていたかもしれない。
拳にもの言わせてでも、その勝ち誇ったような笑みを視界から消したかった。
「そろそろコーヒーとお釣り、ほしいんだけど?」
「……お待たせしました」
「どーも!」
元の緩んだ表情で俺をイラつかせながら、木瀬がぬるいカフェオレの入ったカップを受け取る。
続けて俺が小銭を差し出すと、反対側の手を差し出しかけて、でもその手は途中でスマホを拾い上げた。
喉の奥の方で低く笑い、慈しむように目を細めて画面を見つめる。
また親指を何度か素早く動かすと、木瀬はようやくスマホをポケットにしまった。
「佐藤くん」
「……」
「悪いけど、理人は返してもらうよ」
ともだちにシェアしよう!