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5ー1:午後0時の乱 (7)

男の姿が見えなくなっても、俺はしばらく動けなかった。 理人さんを返す? ……なんだよ、それ。 まるであいつが持ち主で、俺は一時的に借りてただけ、みたいな。 そんな、言い方。 ふざけんな! ふつふつとした怒りが湧き上がってきて、カウンターに投げ出したままだった手が震えた。 心臓の鼓動が速くなり、乱れた呼吸に合わせて肩が上下する。 叫び出しそうになるのを、唇を噛み締めて堪えた。 胃から苦いものがこみ上げてきて、鼻の奥を刺激する。 強く握りしめた右手の下で、なにかが、カサ、と乾いた音を立てた。 ネオジャパン株式会社 東京支社 経理部 経理課 課長 木瀬航生 小さな紙切れいっぱいに、あいつの情報が書かれていた。 ――君さ、理人のなに? あんな風に誰かに敵意を向けられたのは初めてだった。 あまりにストレートでリアルな感情を前に、構える暇もなかった。 「木瀬、航生」 口の中であいつの名前を反芻する。 理人さんとの近すぎる距離。 俺に対する敵対心。 間違いない。 あいつは。 あの男は。 ――昔、俺に向けてきてたのと同じ目《やつ》。 理人さんの昔の恋人。 ――2月から理人の隣の課の課長に就任予定。 あいつの得意げな顔が蘇って、吐き気がした。 来月から理人さんと隣同士? だからなんだっていうんだ。 恋人同士だったとしても、それは昔の話だろ。 理人さんだって、元カレが思いがけず目の前に現れて動揺しただけだ。 そんなの、俺だってうまく対応できるかなんてわからない。 なにも気にすることはないんだ。 そうだ。 なにも焦ることはない。 だって理人さんは、俺と付き合ってるんだから。 ようやく落ち着いてきた心臓を意識しながら、深く息を吐き出す。 すると、ポケットのスマートフォンがブルブルと震えた。 慌てて取り出すと、理人さんからLIMEが来ていた。 『ごめん。今夜行けなくなった』 ――理人、君との予定を優先してくれるといいな。 木瀬航生の低い声が、頭に響いた。

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