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5-2:午後7時の別離 (1)

2月は、あっという間にやってきた。 「おはようございます、理人さん」 「……ん、おはよ」 「コーヒーですか?」 「……でかいの、ひとつ」 「はい」 マシンにカップをセットしてから、カウンターの上に並べられた10円玉を拾い集める。 それを理人さんが、半分閉じた瞳でボーッと眺める。 店内を流れるゆったりとした音楽と、トポトポとコーヒーが注がれる音。 窓の外を行き交う車のエンジン音に、横断歩道の鳴き声。 朝のオフィス街の雑踏の中にいる俺たちの間に、会話はない。 カウンター越しにただ同じ空間を共有するこの時間が、たまらなく心地よかった。 「神崎くん」 ふいに、冷えた空気と一緒に上品な女性の声が流れ込んできた。 「あー……藤野さん、おはようございます」 「おはよう。相変わらず人のやる気を失わせる顔ね」 理人さんの顔を見てそんなことを言える女性は、きっとこの人だけだろう。 藤野(ふじの)憧子(しょうこ)さんは、理人さんと同じネオ株の社員だ。 艶のある黒髪が綺麗な女性で、一見とても大人しそうに見えるのに、理人さんの新人時代の教育係だったせいか、理人さんに対する態度に遠慮がない。 理人さんも藤野さんのことを信頼しているからか、眠いことを隠しもせず適当に応対する様子は、まるで姉と弟みたいだった。 「おはよう、佐藤くん」 「おはようございます。カフェオレですか?」 「うん、お願い」 「はい」 俺はふたりに背を向けて、もう一台のマシンに小ぶりのカップをセットした。 あることを手伝ったことがきっかけで藤野さんは俺のことを覚えてくれて、こうして時折、朝のコーヒーを買いにきてくれるようになった。 これまでただの店員と客でしかなかった人と知り合えるのは、なんとなく嬉しい。 しかも、それが理人さん関係だと、なおさらに。 「コーヒーのLと、カフェラテのM、お待たせいたしました」 「ありがとう」 綺麗に微笑んでカップを受け取ると、藤野さんは理人さんに向き直った。 「そういえば、木瀬くん」 理人さんの眉が、ぴくりと動く。 「先週からこっちに戻ったんでしょ」 「あー……みたいですね」 「みたい、って……隣でしょ?」 「はい」 それっきり口をへの字に曲げてしまった理人さんを見て、藤野さんが訝しげに眉を寄せる。 「どうしたの?」 「……なにがですか」 「神崎くんのことだから、木瀬くんと一緒に仕事ができてどれだけ嬉しいかを語るためだけに、私、お酒の飲めない神崎くんにまた飲みに誘われるのかと思ってたのに」 「っ」 理人さんの頬が、淡い桃色に染まる。 「そういうの佐藤くんの前で言うのやめてください。しかも一気に言うから止める暇なかった」 「なに今さら照れてんのよ」 「今さらって……」 拗ねる理人さんと、からかう藤野さん。 本当の姉弟みたいで、なんだか微笑ましい。 「藤野さんこそ、航……木瀬が戻ってきて嬉しいんじゃないですか」 「私が?なんでよ」 「一時期噂になってましたよ。美男美女カップルだって」 「ああ、あれね。出張の帰りについでの食事に行っただけ」 「それデートでしょ。だめだったんですか?」 「だめじゃなかったよ、楽しかった。ただ、普段あんなにチャラチャラしてるくせにふたりきりになった途端スマートに振る舞うから、なんかものすごく腹が立って」 「なんで腹立てるんですか……喜ぶところじゃないの」 「完璧な男って嫌いなのよ。そういう意味では、神崎くんの方が好き」 「あー……わーい」 「心がこもってない!」 「いてっ」 いつも通りの朝。 でも。 ――木瀬くんと一緒に仕事ができてどれだけ嬉しいか……。 少しだけ胸が痛む、2月の朝。

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