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5-2:午後7時の別離 (5)
「ちょっと佐藤くん、出しすぎだよ」
「えっ……」
ふいに肩を叩かれハッと我に返ると、宮下さんがおもしろそうに俺を見ていた。
いつのまにか、目の前の棚が補充しすぎたおにぎりでぎゅうぎゅう詰めになっていた。
隙間なく敷き詰められた海苔が、まるで俺の心の中のようだ。
どす黒い感情が泡のように次々と生まれ、押しくら饅頭のように引っ付きひしめき合いながら、頭の中を埋めつくしていく。
やがてそれはひとつの大きな塊になって、ゆっくりと浮上してくる。
口を開けば、堪え切れずに溢れてしまいそうだ。
木瀬に対してだけじゃなくい。
俺は理人さんに対してもドロドロした思いを抱いてしまっている。
どうして手を振り払わないんだ。
どうして怒らないんだ。
どうしてそんな瞳で木瀬を見るんだ。
醜い劣情で心がいっぱいになって、どうしたらいいのかわからなくなる。
こんな気持ち、消してしまいたい。
今すぐ、自分の中から追い出してしまいたい。
それなのに――
「佐藤くん!」
「うわっ!ちょっ……あ」
宮下さんにしゃがんだままの身体を激しく揺らぶられて、尻餅をつきそうになった。
なんとか堪えて、何事かと振り返ると、そこには二日ぶりに見る理人さんがいた。
「ほら、レジ行ってあげて!」
「……はい」
理人さんは、いつも通り蟹のように扉をすり抜けてレジに向かってきた。
レジの前でスタンバイしたところで、その服装に驚く。
理人さんは、紺色の作業着を着ていた。
俺も何度か見たことのあるネオ株規定のその作業着は、ところどころにロゴと同じ明るいオレンジ色のラインが入っていて、なかなかスタイリッシュなデザインだ。
理人さんが着ているのを見るのは初めてだったけれど、機能性と安全性を最優先させた服だとは思えない着こなしで、イケメンは何を着ても似合うんだと改めて納得する。
俺と目が合うと、理人さんは探していたお気に入りのおもちゃを見つけて喜ぶ子供のように、一気に破顔した。
「いらっしゃいませ」
「コーヒー小さいのみっつ、ください」
「かしこまりました」
後ろを振り返ってカップをセットすると、マシンが唸り、香ばしい香りが漂ってくる。
理人さんが、ズボンのポケットから財布を取り出しながら右手で髪をかきあげた。
いつもは潤んで輝いている理人さんの瞳に、疲労の色が滲んでいる。
「大丈夫ですか?」
「ん、なにが?」
「疲れてるみたいですけど……」
「あー……誰かさんの無茶振りのせいで、二日続けて終電だったからな……」
「大変、ですね」
「うん。あと……佐藤くんが足りない」
「えっ……」
差し出された千円札を受け取ろうと伸ばした手首が、唐突に引っ張られる。
ぐんと前のめりになった上半身に、理人さんの顔が近付いてきた。
驚いてなにもできずにいると、理人さんが柔らかく苦笑する。
「佐藤くん、もうちょっと屈んで……」
「神崎!そろそろ出るぞ!」
ビクッと身体を揺らし、理人さんはパッと俺を解放した。
さっき通ってきた入り口を振り返り、しかめっ面で覗いている男――三枝さんに、ヒラヒラと手を振ってみせる。
「すぐ行く!」
三枝さんが外に出ていくのを見届けると、理人さんは長く深い息を吐いた。
「……ごめん」
この二日間、理人さんは何度も俺に謝っている。
いったい、なにに対しての謝罪なんだろう。
俺に会えなかったこと?
俺にキスしようとしたこと?
木瀬を忘れられずにいること?
「……千円、お預かりします」
「今日はこれからずっと現場なんだけど、定時で戻れるから」
「……」
「夜、会いたい」
「……はい」
理人さんは、3人分のコーヒーの入った紙袋を提げて去っていった。
外に出た理人さんに、同じ作業着に身を包んだふたりの男が近付いてくる。
三枝さんと……木瀬。
理人さんがコーヒーを差し出すと、木瀬が理人さんの頭を撫でた。
「あ、木瀬課長と神崎課長と三枝主任!」
「ほんとだ!目の保養だわあ」
「三人一緒なの久しぶりだよね?」
「今日現場行くみたいだよ」
「いいなあ!一緒に行きたい!」
「平成22年が当たり年だって言われてるの、分かる気がする」
「ねー」
オレンジ色の社員証をぶら下げた女性たちが、好き勝手に盛り上がりながらレジの前を通り過ぎていく。
ふと、窓越しに理人さんと目があった。
いってきます。
そんな風に、唇が動いたように見えた。
小さく手を振り、遠ざかっていく紺色の背中をじっと見送る。
みっつの背中が見えなくなる寸前、木瀬が俺を振り返った。
真っ直ぐな視線に捕まり、身動きができなくなる。
木瀬はただにやりと口の端を上げると、また俺に背を向けた。
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