222 / 492
5-3:午後10時の解氷 (1)
どうして、こんなことになってしまったんだろう。
俺はただ、理人さんが好きだっただけなのに。
理人さんの〝たったひとり〟になりたかっただけなのに。
ポン、と柔らかい音が鳴っても、俺はエレベーターから降りられなかった。
――おれを、ひとりにしないで……っ。
理人さんの濡れた声が、耳にこびりついて消えてくれない。
俺がこのまま去ってしまったら、理人さんはまたひとりになってしまう……?
いや、理人さんにはもうあの男がいるじゃないか。
あんな風に理人さんを傷つけた俺に、今さらあの部屋に戻る資格はない。
そう言い聞かせて一歩足を踏み出すと、入れ替わりに大きな影が横をすり抜けた。
肩と肩が僅かに触れ合う。
「すみませ……」
「お、佐藤くん」
「木瀬、さん……?」
いつになく穏やかな笑みを携えた木瀬さんは、右手で眼鏡を押し上げた。
紺色の作業着姿のままで、左手には見覚えのあるスーパーの袋を下げている。
「思ったより早かったな」
早かった?
なにが?
こうなるのが?
……なんだ。
そういうことか。
すべて木瀬さんの計画通りだったというわけか。
理人さん奪還計画。
俺は、木瀬さんの掌の上で踊らされていただったのか。
「……失礼します」
「あ、理人、寝た?」
「はい……?」
エレベーターを降りた俺を、木瀬さんが追いかけてくる。
思わず足を止めると、木瀬さんの眉がキュッと寄った。
「理人。寝たから帰るんじゃねえの?」
「え……?」
「熱、やっぱ上がっちゃった?」
「熱……?」
「嫌な予感はしてたんだよなあ」
なんだ?
どういうことだ?
理人さんが、熱?
「理人さん、体調悪いんですか……?」
「ハァ?だから病院寄って直帰して……あ、悪い」
ピロピロピロ、と控えめに響いた電子音に反応して、木瀬さんが胸ポケットからスマホを取り出す。
耳に当てると、嬉しそうに口を開いた。
「理人?」
心臓が、ひとつ大きな鼓動を打った。
「え、なに?ちょ、落ち着けよ。なに言ってるかわかんねえ」
明るかった木瀬さんの声に、明らかな焦りが混じる。
「すぐそっち上がるから待ってろ。いや、降りてくんな。俺が……あ、おい!」
小さく舌打ちして、木瀬さんがスマホをポケットに戻した。
そして、
「理人と……何かあった?」
俺を、睨んだ。
「あなたには……関係、ありません」
顔を背けても、木瀬さんの射るような視線を感じる。
「お前、なーんにも見えてねえのな」
「……」
「ま、いいや。俺にとってはチャンスってやつだし?」
「っ」
「遠慮なく付け込ませてもらおうじゃん」
「てめ、いい加減にっ……」
「佐藤くん……!」
ともだちにシェアしよう!