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5-3:午後10時の解氷 (7)

ひとつの毛布にくるまって、肩を寄せ合う。 理人さんの頭がゆっくりと傾き、俺の右肩が暖かくなった。 繋いだままだった右手が、強く握りしめられる。 同じ夜の空の下、いったいどれだけの愛し合う者たちが今、こうしてお互いの体温を感じる距離で共に時を過ごしているのだろう。 「木瀬さんの、こと……」 「好きだったよ」 理人さんの声は、淀みない凛とした響きを携えて解き放たれた。 迷いは、微塵もない。 「高校一年の時に出会って……その時から、ずっと好きだった」 「……」 「航生はたぶん最初から気づいてたと思う」 高校生の理人さん。 俺の知らない理人さん。 木瀬さんは、小さくてかわいくて純粋だったと言った。 触れるのさえ怖くなるくらいに純粋だった、と。 そんな理人さんが木瀬さんに抱いた恋心。 それはどんな色をしていたんだろう。 「大学一年の冬休みに、両親が交通事故で死んだ」 「……」 「ひとりになったと思った」 「……」 「この果ての見えない広大な世界の中に、ひとりぼっちにされた……って」 理人さんは、よく空を見上げる。 嬉しそうに、楽しそうに、瞳を輝かせてその動きを目で追う。 時折、その視線が苦しそうに歪むことがあった。 まるで空の青を憎むように、睨んでいたことがあった。 でも俺はなにも言えなくて、ただその寂しそうな横顔を見守ることしかできなかった。 「そんな時、航生が一緒にいてくれた」 「……」 「好きで好きで好きで……好きでたまらなかった」 「……」 「家族を失った俺にとっては航生がすべてで、航生だけがたったひとつ大切な存在だった」 「……」 「でも、航生にとっては違った」 理人さんが、鼻から乾いた息を吐く。 「留学先から戻ってくるって聞いて、俺はワクワクしながら空港に会いに行った。でもそこで俺を見つけた航生の目を見た時、悟ったよ。あ、終わりなんだな、って」 「……」 「だから別れるって言われた時も、なにも言えなかった」 無だった横顔に、淡い苦笑が浮かんだ。 「今でも好き、なんですか……?」 ハッと左を向いた理人さんが、ギュッと眉を寄せる。 そして―― ゴツン! 「てっ……!」 「お前な。俺の話、聞いてたか?」 「……」 「言っただろ?好き『だった』って」 「で、でも……」 「そりゃ今だって嫌いじゃないけど、なんていうか……航生を見ても、全然ムラムラしない」 「えっ」 「佐藤くんに対する好きとは、全然違う。兄弟いたことないけど、兄がいるとこんな感じなのかな、と思う」 理人さんは、真っ直ぐに俺の目を見つめて言った。 「俺は、佐藤くんが好きなんだよ」 視界が歪んだ。 理人さんが、俺の頬をそっと両手で包み込んでくれる。 温かい。 とても、温かい。 「たぶん、俺のこと好きになったのは佐藤くんの方が先なんだろ。でもそんなの、もうとっくに追い越してる」 「理人、さん……」 「理由なんて聞くなよ。俺にだってよくわからないんだから」 理人さんが、綺麗に微笑った。 「俺は佐藤くんが好きだ。だから一緒にいたい。離れない、離さない覚悟も、もう佐藤くんからもらった」 「覚悟……」 「それでも、佐藤くんがやっぱり俺と一緒にいられないって言うなら。俺と離れた方が佐藤くんが幸せだって言うなら。佐藤くんの幸せのためなら、俺は……」 「理人さん……?」 俯いた理人さんの手がもぞもぞと動き、コト、と硬い音がして、テーブルに黒く四角いものがそっと置かれた。 笑顔のトフィが、コロン、と転がる。 「……これ」 僅かに揺れるトフィを示す長い指が、小刻みに震えている。 「この合鍵は、佐藤くんにあげたものだから」 ……ぽた。 「もう、佐藤くんのものだし」 ぽたぽた。 「俺には、捨てられない」 ぽたぽたぽたぽたぽた。 「だから佐藤くんが、捨てて――」 溢れ続ける雫ごと抱きしめた。 「……好きです」 「っ」 「理人さんのことが、どうしようもなく好きです……っ」 「佐藤、く……」 「ひどいことして、ごめんなさい……!」 俺は、最低だ。 大切な人を傷つけて。 こんなにも泣かせて。 一緒にいる資格なんてないとわかっているのに。 離れられない。 離したくない。 また一緒に笑いあえる毎日を。 またキッチンで並んで料理できる毎日を。 またベッドで愛を囁き合える毎日を。 望んでしまう。 願ってしまう。 「……よかった」 「え……?」 「ほんとに捨てられたら、どうしようかと思っ……!」 理人さんが震える身体で大きくしゃくりあげ、額を俺の胸板に押し付けた。

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