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5-3:午後10時の解氷 (8)

理人さんの身体を、ベッドにそっと横たえた。 柔らかいマットレスが、キシ、と優しく軋んで、それを迎え入れる。 「っ……」 「理人さん……?」 「ん、大丈夫……」 大丈夫じゃない、と思う。 数時間前まで高熱に浮かされていた身体は、いつになく弱々しい。 それに―― 「理人さん、やっぱり今夜は……」 「いやだ、やめない。したい」 「でもまた熱が上がったら……」 「佐藤くんが看病してくれるんだろ?」 「そう、ですけど」 理人さんは俺の答えに満足したように微笑むと、ゆっくりと俺の背中に腕を回した。 強請られるままに唇を合わせてから、きっちりと締められたパジャマのボタンに手をかける。 半拍遅れて、理人さんの手も俺の服にたどり着いた。 あっという間に露わになった肌と肌を合わせて、じっと見つめ合う。 「怖く、ない?」 「怖い?なんで?」 「だって俺、さっき無理やり……」 「……」 「痛かった、ですよね……?」 「あー……確かにものすごく痛かった。死ぬほど痛かった!」 「……ごめんなさい」 「でも、怖くは……なかったよ」 「えっ……」 「佐藤くんがあまりに辛そうな顔してたから、そっちの方がよっぽど……痛かった」 そうか。 俺、辛そうにしてたのか。 悦んでなくて……よかった。 「佐藤くん……」 理人さんの手が、優しく俺の頬を撫でる。 やがてそれは流れるように俺の唇にたどり着き―― 「ぶっ」 長い指に、唇がサンドイッチされた。 「ましゃしょしゃん?」 「聞け、って言っただろ」 「ふぇ?」 「知りたいことがあったら、俺に聞けって」 「……」 「佐藤くんにはなんでも教えるって」 解放された唇をさすりながら、への字口になってしまった理人を見下ろす。 「そんなこと言われたって……聞けるわけ、ないでしょ」 元カレのことまだ好きですか……なんて。 「信用ないんだな」 「えっ?」 「俺は、そんな器用な人間じゃない」 「器用?」 「昔の男を忘れられないまま次を作ったりしないし、好きでもない男に好きって言ったりしないし、好きでもない男とセッ……クス、したりしない」 理人さんは、耳まで真っ赤になってしまった。 俺の口から、自然と柔らかな笑みが漏れる。 「ごめんなさい。でも……ふたりの距離があまりに近かったから」 「距離?って?」 「30すぎて恋人でもない人に頭なでなでされたり、おでこコッツンされたり、普通しないでしょ」 「あー……なんかそれは15の時から当たり前だったから、意識したことなかったな」 「これからはしてください」 「……ん、わかった」 ほんのり潤んだ瞳に促され、啄むような口付けばかりを繰り返した。 サイドボードからボトルを取ると、理人さんの頬がピクリと痙攣する。 「今度はゆっくり慣らしますから」 「……ん」 潤った指をそっと後ろに当てると、理人さんの呼吸に合わせて緩んだそこが爪までつるりと飲み込んだ。 「んっ、ふ……」 理人さんの顔が、苦しげに歪んだ。 何度身体を重ねても、理人さんはいつもまるで初めてかのような反応をする。 目を閉じて深呼吸を繰り返し、無意識に俺を拒もうとする身体を必死に開いて、俺を受け入れる準備する。 そんな健気な姿が、かわいくてたまらない。 「あっ、あっ……」 ゆっくりと後ろの抜き差しを繰り返しながら、左手を伸ばして胸を飾りを優しく揶揄う。 親指と人差し指で膨らみ始めた突起を摘むと、俺の指を包み込む力が増した。 「理人さんって、乳首弱いですよね?」 「は……?」 「男は開発されなきゃ乳首は感じないって読んだんですけど……」 それはつまり、理人さんは過去に誰かに乳首を開発されたことがあるってことで……。 「理人さんの初めての相手って、木瀬さん、ですか?」 「お、お前、それは俺のおしりに指突っ込んだまま聞くことなのか……?」 「ごめんなさい。でも、気になって」 「……っ」 理人さんが唇をへの字にして、俺から顔を背けた。 「そう、なんですね」 「……ごめん」 「謝ることじゃないです」 「……じゃあそんな顔するな」 恨みのこもった視線に苦笑で答えてから、ググッと奥まで指を差し入れる。 嬌声を上げながら仰け反る首筋に、顔を埋めた。 「あっ、あ、あ……っ」 「俺の初めての相手は、百合ちゃんです」 「んぁっ……は?」 「高校の同級生で、ショートカットがよく似合う笑顔のかわいい子でした」 「は?」 「今思うととても幼い感情でしたけど、俺なりに頑張って……」 「ちょ、ちょっと待て!」 理人さんが、唐突に上半身を起こした。 反動で中をまさぐっていた俺の指が、ニュルリと押し出される。 その不快感に耐えるように全身を強張らせて、理人さんはいかにも不可解だという表情で俺を見た。 「急になんの話だよ?」 「俺だけ知ってるのフェアじゃないかな、と思って」 「俺は別に佐藤くんの恋愛遍歴に興味ないから!」 「ええっ、ひどい」 「それに、そっちの初めてなら俺だって弥生先輩だ!」 「えっ」 「ほらな、別に知ってもいいことなんてないだろ……って、なんだその顔」 「理人さん、童貞じゃないんですか……?」 「はぁ!?」 「だって理人さんゲイだし、男とする時は突っ込まれる方……」 「みなまで言うな!」 俺の言葉に、理人さんがジタバタしながら抗議する。 「え、えええええー……なんかショックなんですけど」 「なにがだよ?」 「理人さんは絶対童貞だと思ってたのに……」 「失礼なやつだな!俺だって女の子と付き合ったことはあるんだから、別におかしくないだろ」 「おかしいとかおかしくないとか言う問題じゃなくて……」 「じゃあなんだよ!」 「その弥生先輩?相手に勃ったんですか?」 「っ……そりゃ、若かった、から……」 理人さんが、太ももを擦り合わせた。 「触られたらふつうに勃つ、だろ」 ああ、なんだ。 そういうことか。 〝弥生先輩〟に反応したわけじゃないのか。 「気持ちよかったですか?」 「そ、そんなの覚えてない。必死、だったとしか」 「ええー、なんかそれも……あ」 「な、なに?」 「もしかして、理人さんもこっち側してみたい、とか思ったことあります?」 「……っ」 「あるんだ?」 「や、でも、無理、だから」 「なにが?」 「その、慣らす、とか、突っ込む、とか、慣らす、とか……」 「慣らす二回言いましたよ」 「や、だからその……なんか、傷つけそうで……無理」 「俺は、理人さんならいいですよ?」 「えっ」 理人さんの目が、まん丸になる。 そのまま視線を下ろして俺の股間をマジマジと見つめ、激しく首を振った。 「いやいやいや!」 「いいんですか?」 「い、いい!少なくとも今日は、いつもどおりで……いい」 「やっぱり怖い?」 「のもある、けど……」 「けど?」 「今夜はものすごく、佐藤くんがほしい、から」 理人さんの手が、やんわりと俺のペニスを撫でた。 淡い刺激に応えぴょんっと跳ねたのを見て、理人さんが、スケベ、と笑う。 俺は、どっちがだ、と悪態を吐き、そして、唇を寄せた。 そして俺たちは、ゆっくりと愛し合った。 好き。 大好き。 離さないで。 離れないで。 離したいくない。 ずっと一緒にいよう。 そんな睦言を何度も囁きあって。 何度も抱きしめあって。 何度も唇を重ねて。 「理人さん……」 名前を呼ぶたびに、涙が出そうになって。 「あっ、あっ、さとうくん……っ」 名前を呼ばれるたびに、涙が溢れた。

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