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5-3:午後10時の解氷 (11)

大きな瞳を輝かせて手を振ってくれる女の子とその父親の姿を見送って、エレベーターがまたゆっくりと動き始めた。 煌々と光る数字が、一桁から二桁に変わる。 ふたりきりになった動く密室の中、俺たちの間には気まずい沈黙が漂っていた。 木瀬さんの背中を見送ってから、病み上がりの身体を冷やしてはいけないと早々にロビーに戻り、タイミング良く降りてきたエレベーターに親子と一緒に乗った。 女の子は昨日幼稚園で覚えたばかりだという歌を得意げに披露してくれ、俺たちの目尻を下げさせた。 うるさくてすみません、と恐縮する父親を慰め、理人さんは、上手だね、と少女の歌をその綺麗な笑顔で褒め、またファンを増やした。 親子が去ってシンと静まり返った空間を携え、エレベーターは一定の速度で上へ上へと昇っていく。 理人さんは、ただぼんやりと斜め上の空間を見上げ、俺と目を合わせようとしなかった。 「あの……理人さん」 「……」 「盗み聞きして、ごめんなさい」 「……」 「理人さん?」 「さっき、起きたらいなかったから……探した」 「えっ」 「やっぱり、俺のこともう要らないんだって思――」 「ごめんなさい。泣かないで」 「……泣いてないよ」 その掠れた声を聞いていたくなくて腕の中に閉じ込めると、理人さんが身体を揺らして苦笑する。 そして、ゆっくりと俺の背中に腕を回した。 真っ直ぐに見上げてくる潤んだ瞳に導かれるように、触れるだけの口付けを落とす。 「んっ。ちょ、田崎さんに見られ……」 「今さらでしょ?」 「そう、だけど……」 理人さんは、頬を桃色に染めて、左手で口元を手で隠した。 黒いスウェットの袖が、理人さんの長い指を半分覆っている。 「やっぱり、ダボダボですね」 「え?」 「俺のスウェット」 理人さんの唇が、への字になる。 「……走る」 「えっ」 「俺も、佐藤くんと一緒にジョギングして鍛える」 「ほんとに?」 「うん、走る。あったかく、なったら」 「……」 「あと、平日は朝早いから……無理」 「プッ、わかりました」 「今度買い物付き合って」 「買い物?」 「ランニングウェアとシューズ、ほしい。佐藤くんと……同じの」 「俺と同じ?」 「……」 「お揃いがいいんですか?」 「ん。サイズは、だいぶ違うだろうけど」 ……うわ。 かわいい。 理人さんがかわいい。 唇を尖らせてボソボソ話す理人さんが、たまらなくかわいい。 本当に、俺と一緒にジョギングしてくれるんだろうか。 しかも、お揃いの格好で? そんなの絶対、たまらないじゃないか。 佐藤くん、待ってぇ〜! 理人さんってば、こっちこっち〜! アハハハハハ! ウフフフフフ! ……あ、これは砂浜か。 「それ、なに買ってきたんだ?」 「小麦粉と卵と牛乳です」 「もしかしてクレープ?」 「はい。理人さん、この間食べたいって言いかけてたから」 理人さんが、素早く瞬きした。 「理人さん……?」 「なんでだろうな」 「えっ?」 「涙が、出そうだ」 ぽろり、ひと筋の雫が理人さんの右目から零れた。 「もう出てますよ」 「……ん」 「理人さんって、見かけによらず泣き虫ですよね」 「……」 「しかも、俺の前でだけ」 「……うるさい」 頬を伝う温かい涙を拭い、そのまま顔のラインを指で撫でる。 「理人さん」 「ん?」 「愛してます」 「……」 「俺、理人さんを愛してます」 理人さんの唇が一度、ふるりと震え、そしてゆっくりと動いた。 「……俺も」 ――愛して、る。

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