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5-3:午後10時の解氷 (12)
そして週が明けて、月曜日の朝。
今日も俺たちは、カウンター越しに見つめ合う。
「おはようございます、理人さん」
「……おはぐえっ」
「おっはようさん!」
「航生……」
「木瀬さん……」
理人さんは前のめりになったまま、俺は目を細めて、その男を睨む。
「ふたりとも露骨すぎ!ひでえ!」
木瀬さんは大袈裟に身震いしてみせ、理人さんの髪をわしゃわしゃと乱した。
理人さんは相変わらずされるがままになりながら、あくびをかみ殺している。
俺も随分、現金な人間だ。
つい数日前まで嫌で嫌でしょうがなかった光景が、今はただ微笑ましい。
「理人、お前朝一で今日の会議の資料よこせよ」
「えっ?金曜日外出前にメールしただろ」
「データ一個抜けてた」
「……うそ」
「具合悪かったからだろ。すぐ直せよ」
「わかった……ごめん」
木瀬さんが、また意味深な視線を俺に送ってくる。
まさか、資料のデータが一個抜けてただけで理人さんの体調不良に気付いたとでも言いたいのか?
それもそれですごいしなんとなく癪に触るけど、理人さんが普段どれだけ完璧な仕事しているのかの方が気になった。
「別に怒ってるわけじゃねえから」
小さく苦笑して、木瀬さんが肩を落とした理人さんを慰めるように頭を撫でた。
理人さんが、気持ちよさそうに目を細める。
あ、まずい。
だめだ。
今のポンポンはちょっと許せない。
「あ、の!」
「ん?」
「やっぱりちょっと近すぎるんじゃないですか?」
理人さんと木瀬さんが、揃って俺を見つめる。
そしてふたりで顔を見合わせると、理人さんは真っ赤になり、木瀬さんはにやりと笑った。
あ、なんだかデジャヴ?
「ふーん?」
わしゃわしゃわしゃ。
人を不快にする類の笑みを浮かべた木瀬さんの手が、さらに理人さんの髪を乱し始める。
わしゃわしゃ。
わしゃわしゃしゃわしゃわしゃ……って。
「ちょっと木瀬さん!?」
「プハッ!こんなことくらいで動揺すんなよ。まだまだ青いねえ?」
「なっ……!」
や、やっぱりこの男、ものすごくイライラする!
なにが微笑ましい、だ。
しっかりしろ、俺!
「理人さんも黙ってないで――う、わ!」
唐突に、何かが俺の胸倉をつかんだかと思うと、
チュ。
唇が、暖かくなった。
そして、視界を覆う、理人さんの綺麗な顔。
腰骨にカウンターが食い込んで痛い。
鼻息と鼻息が絡み合うくらいの距離に、理人さんがいる。
唇が、あったかい。
やわらかい何かが引っ付いている。
なんだ?
なにが起こってるんだ?
状況が掴めず、俺はただ瞬きを繰り返す。
理人さんの気配は、俺が瞼の筋肉を酷使している間に離れていった。
「……今日はコーヒーいらない」
いつになく不機嫌そうな声でそう言い捨て、グレーの背中がピンと伸びたままさっさと遠ざかっていく。
え?
ちょっと。
なんだ?
なんだ……いまの?
なんだいまの。
なんだいまのなんだいまのなんだいまの!
「ま、理人さん……!」
やばい。
抱きしめたい。
スリスリしたい。
ペロペロしたい。
いやむしろ。
今すぐ抱きた――
「ふうううぅぅん?」
あ、完全にこの人の存在を忘れていた。
「……なんですか」
「いやあ、人ってここまで変わるもんなのか、と思ってさー」
「は?どういう意味……あ、ちょっと!」
「理人!まーさと!俺にもちゅーして!ちゅー!」
「す、するか!」
「いいじゃん。減るもんじゃないだろー?」
「減る!」
まるで本当に兄弟のようにじゃれ合いながら小さくなっていくふたりの姿を呆然と見送っていると、ポンと背中を叩かれた。
「あ、宮下さん。おはようございます」
「……」
「宮下さん……?」
どうしたんだろう。
なんだかものすごく鼻息が荒い。
「佐藤くんっ!」
「は、はい?」
「あとで!詳しく!聞かせてもらうから!ね!?」
「え?何を……」
「ああもういいもん見た!今なら死ねるっ!」
宮下さんは俺の質問には答えず、よくわからない雄叫びを上げている。
なんだろう、この感じ。
賑やかで。
うるさくて。
やかましくて。
騒がしくて。
でも、すごく楽しくて。
それに、なんだか――懐かしい。
俺は、窓の外を見た。
空は青く、晴れている。
今日も、いい一日になりそうだ。
fin
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