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閑話:午後8時のデリカシー (4)
突然硬い声が混じり振り返ると、見覚えのあるひょろりとした男が怖い顔をして立っていた。
「渋谷 ……?」
思いがけない出会いに驚く俺に、その男はニコリともせずただ浅い会釈を寄越す。
「お疲れ様です、神崎課長」
「あ、あー……お疲れ」
「いつまでそこにいるつもりですか、木瀬課長。いい加減戻ってください」
「おう、悪い悪い」
航生が俺のカルピスの残りを勝手に飲み干して、いそいそと立ち上がる。
俺は空になったグラスを睨んでから、目の前にそびえ立つ航生を見上げた。
「なんだ、ひとりじゃなかったのか」
「日曜の夜にひとりで居酒屋なんか来ねえよ」
軽い苦笑混じりに俺の髪をかき乱し、座布団を蹴散らしながら航生が踵を返す。
その様子を無表情のまま見守っていた渋谷は、もう一度俺に髪も揺れない程度に会釈すると、さっさと背中を向けて去っていってしまった。
「あ、おい、渋谷!ちょっと待っ……ああもう、めんどくせえ」
大袈裟に舌打ちして、航生が慌てた様子で靴を引っ掛けた。
「じゃ、理人。また明日な」
「ん」
「佐藤くんも」
「はい、お疲れ様でした」
「お待たせいたしましたー」
慌しく去っていった航生と入れ替わりに、注文した料理が運ばれてきた。
すぐに佐藤くんが、エビチリとカマンベールチーズの天ぷらを取り分けてわけてくれる。
「はい、理人さん」
「ありがとう。ん、美味しそう。いただきます」
「いただきます。あ、さっきの人誰ですか?」
「ん?あー、しばらく俺の部下だった渋谷 陽臣 。航生が異動してきたタイミングで課を移ったから今は航生の部下になったけど」
「気になります?」
「うん、そうだな……ある意味で」
航生が家飲み以外で『できあがる』ことなんて滅多にないし、そもそも会社関係の人間とオフィシャルな飲み会以外でお酒を酌み交わすなんて今まで見たことがなかったし、もっと言えば、戻れと言われてあんな風に素直に戻っていく航生を見たのは初めてだ。
もしかしたら、航生は渋谷と〝そういうこと〟になっているのかもしれない。
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