今日は暑かった。 桜の木が若葉色に覆われたと思ったら、続いてやってくる春を通り越して夏日になった。 より天空に近い２９０５号室の部屋は、まるで蒸し風呂だ。 それでも窓という窓を開け放ち風の流れを作ると、日が沈む頃にはだいぶ過ごしやすくなっていた。 今日の理人さんからのリクエストは、カルボナーラ。 初めてのことで嬉しかったけれど、同時に不安も大きかった。 俺は、理人さんが求める家庭の味を知らない。 それでも理人さんが、俺の作るカルボナーラが食べたいと言ってくれたから。 理人さんは、熱々のカルボナーラをフォークにぐるぐる巻きにし、明らかにひと口では頬張れそうにないボリュームになったそれをひと口で頬張った。 湯気を立てたカルボナーラが、はふはふと踊る。 「そんなに急いで食べなくても」 「ふぁっふぇふぁふぉふんふぉふぁふふぉふぁあふぁふぉふぃふぃい」 「なに言ってるかまったくわかりません」 俺の苦笑に目を細めて応え、理人さんはもぐもぐと口を一生懸命に動かす。 そしてごくりと喉を鳴らし、ふぅと息を吐いた。 「だって佐藤くんのカルボナーラ、美味しい」 「それはよかった」 理人さんがふた口目のカルボナーラロールを口に運ぼうとした時、小さな重低音が鳴った。 キッチンカウンターの上で、理人さんのスマートフォンの画面が光っている。 理人さんは残念そうにフォークを置くと、ソファから立ち上がった。 珍しい。 いつも食事中にスマホに触ることなんてないのに。 「あー……」 「どうしたんですか？」 「佐藤くん、ごめん」 理人さんの眉が、八を描いた。 「今週末の約束、延期してもいいか？」 今週末。 その言葉に一瞬息が止まる。 「なんだよ、もう。せっかく佐藤くんと動物園――」 「東京ですか」 理人さんのアーモンドアイが大きくなった。 「木瀬さんから聞きました」 「航生が？あー……ちゃんと決まるまで言うなって言ってあったのに」 唇を尖らせて、理人さんがたどたどしい手つきでスマホの画面を指でこする。 何度かそれを繰り返してから、スマホを元の場所に戻した。 勢いよくソファに座り、途中だった食事を再開する。 「急にごめんな」 「……」 「ほんとは断りたかったけど、上司からの命令って形取られてなにもできなくて」 理人さんが、サラリーマンは辛いよ、とおどける。 ものすごくイライラした。 「なんだよそれ」 「え？」 「ふざけんなよ！」 「佐藤くん……？」 「風呂入ってきます！」 カルボナーラを残したまま、俺は理人さんに背を向けた。