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閑話:午後0時の乱<改> (3)

ばかでかい浴槽いっぱい溜まったお湯に沈み、息を止める。 ゆらゆらと漂いながら上を見上げると、薄く緑がかった世界が広がっていた。 すべての音が閉ざされた世界。 鼻からぽつぽつと漏れる空気が、右へ左へと揺れながら水面まで上り、弾ける。 ――生まれ変わったら魚になりたい。 いつだったか、理人さんがそんなことを言っていた。 今ならなんとなくその気持ちがわかる。 心地よい水圧が与える不思議な安心感。 そっと目を閉じて、無限に続く時間に身を委ねる。 穏やかだ。 ……キイ。 ふいに、くぐもった気配が混じった。 控えめに扉が押し開けられる音。 続いて勢いよく水の出る音。 断続的だったシャワーが、なにかにぶつかり乱れる音。 え? 慌てて身体を起こすと、だらりと垂れた前髪の隙間から引き締まった身体が見えた。 肌色の。 理人さんは、薄い身体をしならせて髪を泡まみれにしていた。 俺はただ、呆然とその様子を眺める。 頭の泡を洗い流し、今度は首から下を順番に泡だてていく。 そして最後にすべてを洗い流すと、シャワーを止めて深い息を吐いた。 重力に従って垂れた髪から、水滴が落ち続ける。 その流れを断ち切るように髪をかきあげ、理人さんが俺を見た。 無意識に喉が鳴る。 理人さんはゆっくりと歩み寄り、長い左脚を湯船に入れた。 小さな波が生まれ、ぷかぷかと水面を漂い俺に近づいてくる。 それがたどり着く前に、理人さんが一気に身体を沈めた。 大きなうねりに煽られ、ふくらはぎが理人さんの脛に触れる。 形の良いの眉が、ぴくりといかった。 「佐藤くん」 「……なんですか」 「しつこいかもしれないけど、言うからな」 尖った唇から、はっきりとした言葉が紡ぎ出される。 「知りたいことがあったら、ちゃんと俺に聞いて」 「……」 「佐藤くんになら、なんでも教えるから」 ……ああ。 ずるい。 そんなことを。 そんな顔で。 そんな格好で言うなんて。 ほんとに――ずるい。 「俺……」 「うん?」 「時々、理人さんがわかりません」 「俺が?」 「なんで大事なこと、話してくれないのかなって思う」 「大事なこと?」 「俺だったら、正式に決まる前に絶対理人さんには話しておきたいと思う」 「……」 「たとえ自分に選択権がないことでも、理人さんの気持ちを知っておきたいって思う」 「……」 「全部は無理だとしても、できる限り理人さんの意思を尊重したいって思うから」 理人さんが、素早く瞬きした。 長い睫毛にぶら下がっていた水滴が揺れている。 「なんで東京行くこと、言ってくれなかったんですか?」 「えっ」 「なんで俺は大事なことをいつも、よりにもよって木瀬さんに聞かされてばっかりいるんですか……?」 よりにもよって、一番聞くたくない人の口から。 「なんでも教えてくれるっていうなら、教えてくださ――」 「ちょっと待った!」

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