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閑話:午後0時の乱<改> (5)

「お土産買ってくるから」 理人さんは新幹線で旅立った。 触れるだけの口づけを残して。 そして、週が明けて月曜日。 俺はまた午後0時15分きっかりに、あの男と対峙していた。 「いらっしゃいま……」 「どーも!」 木瀬さんは、相変わらず奥の見えない瞳で笑い、商品をカウンターに置いた。 ざる蕎麦とヨーグルト。 今日はやけにシンプルなチョイスだ。 「理人、帰ってきたよ」 ざる蕎麦を少しだけ傾けてバーコードを読み取っていると、木瀬さんが言った。 声色でわかる。 どうせまたニヤニヤしてるんだろ。 俺は気を引き締めた。 二度も遊ばれてたまるか。 「知ってます。昨夜LIMEもらいました」 「理人がいなくて寂しかった?」 「はい」 木瀬さんが、驚く気配がする。 「……なんですか」 「へえええええ、と思って。素直じゃん?」 やたらと長い指が、黒縁の眼鏡を押し上げた。 そして代金を支払い、白い袋を受け取り、背中を向けた。 あれ? それだけ? いや、これこそコンビニ店員と客らしいやりとりだとは思うけれど。 嫌味のひと言とか。 揶揄いのひと言とか。 そういうのはなし? なんとなく不安になり木瀬さんの背中を追っていると、ふと歩みが止まり、大きな手で列の中にぴょこんと飛び出ていた頭を撫でた。 あ、あれは。 理人さん! 「いらっしゃいませ」 「こんにちは」 理人さんはいつものように、淡い笑みを浮かべて挨拶した。 隣のレジの宮下さんに。 順番だから仕方ないとはいえ、今日に限って俺のレジにならないなんて……ものすごく残念だ。 こうして直接声を聞くのは、金曜日の朝ぶりなのに。 宮下さんが気を遣って俺に視線を送ってくれるけれど、まさか目の前のお客さんを無視するわけにはいかない。 俺はお客さんの指示通りのタバコを取り出しつつ、ちらりと理人さんの方を見た。 今話題の『天使のおにぎり』とわかめサラダ、それに黒烏龍茶がカウンターに並んでいる。 木瀬さんとの一件以来、理人さんはカルボナーラを買わなくなった。 最初は俺に気を遣っているのかと思った。 でもどうやら、理人さん自身の中でなにか心境の変化があったらしい。 今では俺や職場の人たちからオススメ情報を仕入れては、その真偽を律儀に試して楽しんでいる。 そして俺は、そんな理人さんを見られるのが――嬉しい。 過去を忘れてほしいと思っていたわけじゃない。 それでも今の理人さんは俺との未来をしっかりと見据えてくれている気がして、それがただただ嬉しかった。 「……あの」 「はい?」 丁寧に袋詰めする宮下さんを見守っていた理人さんが、もぞもぞと動く。 「あー……宮下、さん」 「は、はい!」 宮下さんが全身で飛び上がる。 どこか申し訳なさそうにしながら、理人さんが黄色い紙袋を差し出した。 「え、これ……!」 「東京土産です。ありきたりで申し訳ないですが、よかったら皆さんで」 「え、い、いいんですか?」 「はい。いつもお世話になっております」 「あ、ありがとうございます!」 宮下さんは、震える手で紙袋を受け取り、俺を見た。 ん、俺? 「お客様、レジ交代しますね!佐藤くんは、あちらのお客様のフォローお願い!」 「えっ、あっ、ちょ!?」 こんな小さい身体のどこにそんな力があるのか。 宮下さんの馬鹿力にどんどん背中を押され、俺はあっという間に理人さんに向き合う形になった。 宮下さんの有難いけれどあからさますぎる気遣いに、理人さんが顔全体で苦笑する。 でもすぐに気まずそうに視線を逸らした。 「あー……ただいま」 「……おかえりなさい」 「はい、これ」 「え……?」 「東京土産」 「でもそれはさっき……」 「いらなかったら捨てて」 「えっ?あ、理人さん!」 理人さんは白い袋をひっ掴み、いつもよりも早足に店を出て行った。 その背中が完全に見えなくなるまで見送って、改めて手の中を見る。 手のひらにちょこんと乗っていたのは、小さな小さなクリームソーダ。 まるで写真を切り出したかのように、とても精巧に作られている。 さくらんぼは双子じゃないけれど、それ以外はグリーンガーデンカフェで飲んだクリームソーダそのものだ。 わざわざ探してくれたんだろうか。 それとも、どこかで偶然見つけたんだろうか。 どちらにしても、このクリームソーダは離れていた間も理人さんが俺のことを考えていてくれていた証だ。 俺はポケットからスマホを取り出した。 ロック画面に反射したたるたるにたるんだ自分の顔は見なかったことにする。 素早く指を動かし、一気に送信した。 『絶対捨てません。一生大切にします』 メッセージには、すぐに既読がついた。 それでもやっぱり理人さんからの返信はない。 でも、それでもいいのだ。 だって。 今理人さんがどんな顔してるか想像するだけで、 「ごはん3杯はいけそう……!」 ――だから。 fin

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