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6ー4:午後8時の贈り物 (2)
まあ食べなさい、と押し出された菓子鉢からぬれせんべいの入った袋を一枚取り、でも理人さんは封を切らずにただ手の中で弄んでいる。
微かに耳に届くテレビの音。
風呂場から聞こえてくるシャワーの音。
楽しそうな黄色い声。
カチコチと時を刻む柱時計の音。
田んぼの縁でわめく蛙。
時折混じる車がエンジンをふかす音。。
近づいてきと思ったそれはすぐに通り過ぎ、すぐにまた不完全な静寂が食卓を包む。
流れる空気は穏やかなのに、ものすごく息苦しい。
まるで、辺り一面に罠が仕掛けているようだ。
一歩を踏み出す場所を間違えたら、もう――終わり。
「理人君」
唐突に沈黙が破られ、俺たちは揃って肩をいからせた。
父さんの目はまるで俺など見えないかのように、まっすぐに俺の隣を凝視している。
理人さんもまた、同じ高さで父さんを見ていた。
母さんはただニコニコしている。
「君は男性が好きなんだね?」
「……はい」
震える声が、絞り出された。
「ご家族には?」
「言えずじまいでした」
「ご両親はいつ?」
「大学一年の冬休みです」
「そうか。交通事故だとか」
「はい。二人で旅行中に飲酒運転の車にはねられて死にました」
「兄弟は?」
「いません」
「それは、辛かったね」
「……はい」
理人さんの口角が、僅かに上がった。
あの夜、祭壇の前で舞い散る風花について話してくれた時のように。
もうそこにはいない誰かを慈しむような、そんな笑み。
儚い微笑を浮かべる理人さんを、父さんが心配そう覗き込んだ。
……なんだ。
俺は安堵した。
〝話〟ってそういうことか。
理人さんの家族に関しては、詳しいことはなにも打ち明けていなかった。
なんだか俺の口からペラペラとしゃべってしまうのは、違う気がして。
ただ、理人さんが、所謂〝天涯孤独〟の身だということは話してあった。
だから、父さんは――
「英瑠のどこが好きなの?」
「えっ!」
「ブフォッ」
花畑の一画が、麦茶にまみれた。
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