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閑話:午後三時の勝負 (4)
パチパチと油が跳ねる音がする。
一瞬ジュッと大きくなり、断続的な濁音に変わった。
なにを作ってるんだろう。
見てみたくて、でもソファから起き上がる気になれない。
だるい。
「理人さん、髪はちゃんと乾かしてくださいよ」
キッチンカウンターの向こうから、佐藤くんが苦笑混じりに言った。
適当に鼻を鳴らして応え、目を閉じ空気の中を漂う音に耳を澄ませる。
平成最後の午後。
車道を行き交う車の音は、窓を開けていても僅かにしか届かない。
空を渡っていく飛行機のジェット音の方が近い。
人工的な音に囲まれ、慣れ親しんだ日常に戻ってきたことに深く安堵しているのに、今朝まで聞いていた鳥や蛙や虫の声がもうすでに懐かしい。
仕事を引退したら田舎に引っ越すのもいいな、なんてことまで思ってしまう。
もちろん、その時は佐藤くんも一緒がいい。
「……佐藤くん」
「はい?」
「なに、作ってんの」
「天ぷらです。山菜の」
あ、お父さんと一緒に採ったやつ。
それなら俺もやってみたい。
そう思って上半身を起こ……そうとして、諦めた。
僅かに角度が変わっただけで、脳内の小さな世界がぐるぐる回る。
それに、腰が重いし、お尻は……うん、ノーコメント。
「だめだ……動けない」
「謝りませんよ?」
煽ったのは理人さんでしょ、って……くそ、わかってるよ。
「佐藤くんはなんでそんなに動けるんだよ……」
「うーん……年の差、かな?」
「うわ、ムカつく!」
菜箸を手に得意げに目を細める佐藤くんは、なんだかとても幸せそうだ。
不思議だ。
ついこの間まで、この笑顔を向けられる度に、嬉しさと照れくささの陰で、必ず胸がちくりと痛んでいた。
それは小さな、ほんの小さな、だけど確かな罪悪感が存在していた証。
でもそれが、今は影も形も現れない。
「理人さん」
「んー?」
「どうしますか?」
「なにが?」
「残りのゴールデンウィーク」
「仕事……」
「に行くのは明日だけでしょ?」
「あー……」
「俺も週末まで何もないし、どこか行きますか?」
「ん、そうだなー……」
明日の仕事が終わったら、佐藤くんに迎えに来てもらって一緒に買い物に行って、一緒に帰ってきて一緒に料理して一緒にご飯食べて一緒にお風呂……は入らないかもしれないけど、一緒に寝たい。
次の日は目覚ましなんてかけずにただベッドでダラダラして、それに飽きたら一緒に起きて、一緒に朝ごはん……か、いっそひとつにまとめたお昼ごはんを作って食べて、またひっつき合ってダラダラしたい。
その次の日からは天気が良ければ出かけてもいいし、出かけなくてもいいし、佐藤くん家に行ってもいいし、週末は佐藤くんのピアノを聞きに行きたいし、つまるところ俺は、
「ずっと佐藤くんと一緒がいい」
火照った顔に向けられたのは、向日葵の笑顔だった。
fin
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