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閑話:午前9時のニアミス (1)

懐かしい香りが、深い海の底を漂っていた意識をゆっくりと浮上させる。 魚の焼ける磯の混じったにおいと、米が炊き上がる湿った空気。 香ばしい和の香りは、味噌汁だ。 具は、きっと油揚げと豆腐。 心地よく鼻腔をくすぐる朝食の香りを吸い込み思いっきり伸びをする。 すると薄く広がる視界の奥に、きっちりと畳まれたひと組の布団が積まれているのが見えた。 ああ、そうだった。 昨日、理人さんと一緒に帰省して……あれ? 「おはよう、英瑠」 急な階段を転がり落ちる勢いで駆け下りた俺を、母さんが穏やかな笑顔で迎えてくれる。 その手には採りたてのネギが握られていた。 「おはよ!理人さんは!?」 「お父さんと筍掘りに行ったわよ」 「え、筍……?」 「昨日約束してたんでしょう?」 あれって約束だったのか。 「いやでも九時って……」 「瑠未が騒いで起こしちゃったのよ。お父さんもなんだか張り切っちゃって、朝飯前の運動にちょうどいいからもう行くか、なんて言ってね」 「起こしてくれればいいのに……」 「理人君が、きっと疲れてるだろうからって気を遣ってくれたのよ」 「理人さんが?」 確かに疲れてた。 自分でも知らないうちに、気を張ってたんだと思う。 昨夜の最後の記憶は、理人さんが俺の手に触れてきて、ああキスしたいなと思った時には理人さんがもう深い寝息を立て始めて、早いなかわいいなんて蕩けた次の瞬間には、もう朝になっていた。 眠りが深かったからか、気分がスッキリしていて清々しい。 きっと理人さんもぐっすり眠れたんだろうな。 だってまさかあの理人さんが仕事のない朝にアラームなしで起きて、しかも筍を掘り出かけるなんて。 「心配しなくても、そのうち帰ってくるわよ。ほら、手伝って」 「はいはい」

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