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閑話:午前9時のニアミス (4)

「佐藤くん……?」 急な階段の最後の段に足をかけたまま、理人さんが振り返る。 俺の指がグルリと一周した左手首を見下ろし、不安そうに瞳を揺らした。 鼻の頭にちょこんと乗った土のかけらを、そっと指で拭う。 そのまま頬をなぞると、理人さんの唇がキュッと窄まった。 潤んだアーモンドアイに見つめられながら、ゆっくりと顔を傾ける。 上唇の先と先が触れ合いそうになった――瞬間、 「おーい、理人君!」 理人さんは、身を翻してものすごい早さで階段を駆け下りていった。 両耳を真っ赤に染めながら。 「これ、貰い物なんだけどよかったら着てみないかい?」 「Tシャツ……?」 首を回して斜め下を見やると、理人さんがダークブルーの布を広げている。 それは確かに、Tの形をしていた。 そして、真ん中に白く太い自体で、こう書かれていた。 〝僕は佐藤ではありません〟 「町内会の運動会の景品なんだけど、理人君にならちょうどいいと思って」 「ありがとうございます!」 って、着るのか。 着ちゃうのか、理人さん! 「うん、似合うな。それに、文言に嘘がない」 だから、なんなんだよ、これは。 料理番組の次はコント? 海外ドラマで見たことがある。 本人たちは真顔で演技してて、でもBGMで盛大な笑い声が流れてくるやつ。 「英瑠って案外手が早いんだ」 誰もいないと思っていた方向から、高い声がした。 嫌な予感を抱きつつも顔を上げると、階段の頂上からパジャマ姿の瑠衣が俺を見下ろしている。 さらにその隣には、同じく寝間着姿の瑠加もいた。 控えめに言っても、ものすごく最悪だ。 「見―ちゃった見―ちゃった」 「な、なんだよ」 「キスくらいササッとすればよかったのに」 「なっ……」 「無駄に雰囲気出そうとするから〜」 「しょ、しょうがないだろ!」 理人さんがやたら鼻血案件ばっかり俺にぶつけてくるんだから! 「言っとくけど、弟のキスシーンなんか見たくないんだからね?」 「そうそう。男同士とか関係なく、普通に見たくない」 「理人さんのキス顔、最高に綺麗なのに?」 「うっわ、やめて!」 「あ、それはちょっと見たいかも……」 「瑠加!……とにかく、この家の敷地内で変なことしようとしたら、お父さんに言いつけるから」 「ええっ!」 「ええっ!」 「ってなんで瑠加まで驚くの……」 「だってこんな機会滅多にないよ!イケメンのキス顔見たい〜!」 この時の俺は、まだ知らなかった。 鼻血案件はじめ、ムラムラ案件および下半身もっこり案件、心臓バクバク案件、かわいいかわいいもう無理押し倒したくてたまらん案件……等々を理人さんにいたるところでふっかけられ、最ッ高に悶々とした三日間を送ることになることを。 「佐藤くん、見て見て!お父さん、から、シャツもらった!」 「……」 「どう?似合う?」 「……」 「佐藤くん?」 「もう……」 ほんと、やめて。 fin

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