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閑話:午前11時の逢引 (12)
パチン、とゴムが弾ける音がした。
吐き出された欲を受け止めたその口を固結びして、佐藤くんがゴミ箱に投げ捨てる。
「ちょっと手、洗ってきますね」
爽やかな笑顔を残して、逞しい背中が奥に消えた。
手を洗うってことはつまり……ああ、くそ。
何度経験しても、事後のこの流れはどうしようもなく恥ずかしい。
皺くちゃになったシーツの上に、気だるい身体を投げ出して天井を見上げる。
ラブホテルは二度目だけど、まだ慣れない。
〝そういうこと〟をするためだけに作られた空間に、自分がいるなんて。
視線をずらしてジャージャー流れる水の音を辿ると、肌色の大きな背中が見えた。
それだけで、一度は治まったはずの熱が身体の奥からじわじわと再燃し始める。
本当に、どうかしている。
どうかしているのに、その淡い熱が心地いい……なんて。
「理人さんっ」
両腕で隠していた視界を開放すると、なぜかものすごくにこにこしている佐藤くんがいた。
いや、にこにこと言うよりは……ウキウキ?
その手には、なにかが握られている。
ものすごく大きくて太い注射器のようななにかが、透明のプラスチックの袋に入っていた。
表面には、『滅菌済』と太文字で書かれている。
「なにそれ?」
「浣腸器です。SMとかに使うやつ」
「あー、ごめん。SMには俺、これっぽっちも興味ない」
「俺もないですよ。理人さんのこと痛めつけたいとか思わないし、そもそも理人さん痛みに弱いでしょ。ああでも、理人さんが俺を痛めつけたいって思うなら別に……」
「思うか!」
ですよね、と歯を見せて笑ってから、佐藤くんは袋を開けた。
べりッと一気に、豪快に。
「ちょ、おい!滅菌済なのに剥がしたらまずいだろ!」
慌てて身体を起こした俺を、不気味な笑顔が見下ろしてくる。
「前に俺、言いましたよね?理人さんのお尻、洗ってみたいって」
「え?言った、っけ……?」
「はい」
「い、いつ?」
「4月16日(火)」
「何時何分何秒!?」
「親父デンプン画びょう!」
うわ、くっだらな……じゃなくて。
「大丈夫ですよ。滅菌済だったし、使うのはただのお湯です」
「お、お湯?」
「ちゃんと調べましたから。大丈夫、俺に任せて」
そうか、そりゃあ頼もしいな……って、そうじゃない!
「いいいい、いやだ!絶対いやだからな!」
「一回だけならいいって言ったじゃないですか」
「ま、まさかその『一回』を今使う気じゃ……」
「その気です。満々です」
佐藤くんはニタァっと笑い、また奥に消えていった。
固唾を飲んでその動向を見守っていると、佐藤くんはさらにウキウキした様子で跳ねるように戻ってきた。
その手には、たっぷりの液体を携えた浣腸器がずっしりと収まっている。
う……中身がタプタプ揺れて生々しい。
思わず後ずさると、まるでそれを予想していたかのようにサラッと腰を掴まれた。
そのまますごい勢いでうつ伏せにされ、お尻を上げさせられる。
ギシ、とベッドが大きな音を立てて、マットレスが足元の方だけ深く沈んだ。
スプリングが傷んでるのか、佐藤くんが動くたびに軋みがすごい。
ギシギシ。
ギシギシ。
おい、ラブホテルの管理人!
こんないかがわしい〝道具〟を備え付ける前に、ちゃんと備えべきものがあるんじゃないのか!
思わず心の中で叫んでいると、佐藤くんの指先がそっと割れ目を辿った。
ついさっきまで中にあったその感覚を思い出し、心臓がどくんと高鳴る。
「だ、だめだ!あ、明日は仕事っ……」
「じゃなくて休みです」
「あ、あれ?」
まずい。
長すぎる連休のせいで、曜日感覚が狂ってきた。
今日は日曜日。
明日は日曜日の次だから、月曜日。
でもゴールデンウイークだからまだ祝日?
「も、もう時間がっ……」
「大丈夫、まだたっぷりあります」
カチャン、と何かがこすれあう音がした。
なんだ?
手首が後ろ手で縛られて……違う、これは。
手錠!?
SMには興味ないって言ったのに!
「ま、待て!早まるな!も、もったいないだろ、こんなの!」
「なにが?」
「い、一回だけなんだぞ、本当に!一生に、一回だけ!なんだぞ!?」
「わかってます」
「それならっ……」
「でも一回やってみたら、理人さん案外ハマるかもしれないし?」
「ハマるかよ!」
「大丈夫、痛くないですから」
「だからそういう問題じゃな――」
息を呑んだ。
つぷり、となにかが差し込まれている。
指でもない、佐藤くんのでもない、硬いなにかが。
「い、いやだやめろ!」
「やめません」
「ひぁっ!?」
ジョロ、と温かいものが注ぎ込まれた。
痛くはない。
佐藤くんの言うとおり、痛くは、ないけど。
気持ち悪い……!
「や、いやだ!」
「理人さ……」
「やだやだやだやだやだあ!」
「もう、いいですよ別に。嫌がられながらやるのも興奮す……」
「するな変態!」
これでもかと足をばたつかせると、深いため息が聞こえ、すぐに後ろの違和感がなくなった。
安堵の息を漏らした俺の背中を、佐藤くんの手が穏やかに撫でる。
「理人さん、こんな言葉知ってますか」
「言葉……?」
「〝男に二言はない〟」
……あ。
あああああ。
どうしよう、最悪だ。
これは、最悪なやつだ。
どう頑張っても逃げられないやつ。
俺の、ちっぽけだけど確実に心のどこかにある〝男〟のプライドが邪魔して、絶対に逃げられなくなるやつだ!
「理人さん」
「ん……ん?」
「心配しないで。優しくしますから……ね?」
で、出た!
母親の『怒らないから言ってごらん?』と同じくらい信じちゃいけない台詞ナンバー1!
ヤサシクスルカラ。
騙されない。
俺は騙されないぞ!
「では」
「佐藤くん……?」
「いざ、理人さんの男気を拝ませていただきます」
「あっ、ちょ、ちょぉっ……!?」
騙されな――…
「やっ、やだっ、やめ……あ、あぁん!」
……あ、優しい。
fin
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