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7-1:午後1時のたこパ (8)

への字化した唇をさらに尖らせて、理人さんは俺の隣に腰を下ろした。 左手に串を構えて、端っこから順番にたこ焼きをひっくり返していく。 木瀬さんはまた気だるさを全開にして、ビールを喉に流し込んでいた。 「理人さん、入学式でなにがあったんですか?」 「別に、なにもない」 「教えてやれよ。じゃないと佐藤くんが、高校生の初心なお前と俺とのあーんなことやこーんなことを想像して悶々としちゃうじゃん」 「あーんなことやこーんなことなんて、なにもないだろ!」 「高校時代は、な?」 理人さんの口がパクパクと音にならない声を紡ぎ、そして肩がわなわなと震えた。 「お前、なにしに来たんだよ!」 「んー……暇つぶし?」 というよりむしろ、八つ当たりだろうな。 なにがあったのかは知らないし、正直知りたくもないけど、渋谷さんとのいざこざのストレスを理人さんで発散しているに違いない。 理人さんは、興奮した猫のようにフーフーと全身の毛を逆立てて、木瀬さんを威嚇した。 「別に、そういうことはなにもない!階段上がる途中ですっ転んで、思いっきり膝擦りむいて……そしたら航生先輩が絆創膏くれた。ただそれだけ!」 「それだけ、って……」 まさか、それだけで木瀬さんのことを好きになったっていうのか。 そんな、少女漫画みたに? 「だめじゃん、理人。その言い方じゃ、佐藤くんますます悶々だろ」 「な、なんでだよ!」 理人さんが、じたばたした。 絆創膏云々は手負いの獣を前にした人間の当然の親切心だということにしても、時々時間が巻き戻ったみたいに、理人さんが木瀬さんを『航生先輩』って呼ぶことの方が、俺は心がざわざわする。 高校生の理人さんのタイムラインに、俺はいなかった。 ちっこい理人さんの隣には木瀬さんがいて、理人さんは木瀬さんのことが大好きで、木瀬さんはそんな理人さんに怖くて触れられない。 俺は知らないはずなのに、そんな焦れったいふたりの映像が、脳裏に鮮明に浮かび上がってくる。 あ、なんだかイライラしてきた。 しょうがない。 俺もちょっとだけ、八つ当たりしておくか。 「理人さん、まだ木瀬さんのこと好きでしょ」 「なっ!?す、好きじゃなっ……」 「えー?俺のこと嫌いなの?」 「そ、そうは言ってなっ……」 「やっぱり好きなんだ」 「ち、ちがっ……」 ああ、かわいい。 木瀬さんにいじめるなって言ったばかりなのに、理人さんの反応がかわいすぎて、もっと意地悪したくなってしまう。 理人さんは、いつも身体を鍛える俺のことをマゾだマゾだと罵るけれど、俺はどちらかというと自分はサド寄りだと思う。 ベッドの上で恥ずかしがる理人さんの姿以上に興奮するものなんて思い浮かばないし。 「だからっ、そういう意味じゃなくて!」 「どういう意味なんですか?」 「航生先輩のことはす、好きだけど、でも、もうそういう意味じゃなくてっ、俺が今、そういう意味です、好きなのは、佐藤くんだから!」 ああ……キスしたいなあ。 「プハッ!」 「へ……?」 「ごめんなさい、ちょっと意地悪しました」 「なっ……!」 木瀬さんはニヤニヤしてるし、俺は……うん、きっと俺も、ニヤニヤしてる。 「お前らふたりして……お父さんとお母さんに言いつけてやる!」 「え、ちょ、ちょっと、それはだめでしょ!」 ただでさえ、あのゴールデンウィーク以降、連絡がきたと思ったら、 「理人君は元気か?」 「理人君、風邪ひいてない?」 「理人君にちゃんと椎茸も食べるように伝えてね」 「理人君は次いつこっちに来るんだ?」 って、とにかく理人君理人君理人君。 たぶん、実の息子の俺のことよりも、理人さんのことを考える頻度の方が高いんだと思う。 そんなふたりに、なにを言いつけるって!? 「お父さんとお母さん?ってなに?」 「あ、俺の両親です」 「は……?」 「ゴールデンウィークに一緒に帰省したんですけど、それ以来、ものすごく仲良くて……」 「ちょ、待てよ!なにそれ!?聞いてねえぞ!」 「え?」 俺と木瀬さんに同時に振り返られ、理人さんは、ぷい、と顔を背けた。 「は?え?なに?まさか、佐藤くんの家族に会いに行ったってのか?彼氏として!?」 「はい。会いに行って、俺の大切な人だって紹介しました」 「はあああぁぁぁっ!?」 あれ、なんでだろう。 心にうっすらと立ち込めていた暗い霧が、一気に晴れてなくなった。 てっきり、木瀬さんにはなんでも包み隠さず話しているのかと思っていた。 理人さん、話してなかったんだ。 ただそれだけのことなのに、なぜだかものすごく、 嬉しい。

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