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7-3:午後8時のジュ・テーム (2)
「佐藤くん」
「あ、はい!」
「捗ってる?」
「はい、それなりに」
「麦茶できたけど、飲む?」
「いただきます」
開け放した扉の向こうからぴょこんと顔を出した理人さんは、グラスをふたつ持っていた。
そのうちのひとつを受け取り、半分を一気飲みする。
少し濃いめの麦茶は氷の欠片と一緒に食道を流れ落ち、火照った身体を気持ちよく冷やしてくれた。
「暑いな」
「やっぱりまだ湿気が……」
「この部屋にもエアコンつけるか」
「えっ」
「ふたりでくっついて寝るなら、夏は暑いだろ」
「あ、はい、そうですね……」
というか、俺とくっついて寝る気なのか、理人さん。
いやまあ、今までもどっちかっていうと、泊まる時はくっついて……むしろ、くっつかれて寝てはいたけど、いざ言葉にされると、なんだかこう……うん。
「荷物それだけ?」
「あ、はい。クローゼットに入れる分は終わりました」
服やファッション系の小物は元々それほど数を持っていたわけではないし、秋冬物は衣装ケースに入れたまま上の棚にしまったから、ちょうどスペースの八分目くらいが埋まった感じだ。
仕事用のタキシードは、一番奥のハンガーに吊り下げた。
「キッチン用品も片付いた。あとは本とか?あっちの部屋に入れる?」
「はい。あ、でもほぼ楽譜なので、今すぐ出さなくても大丈夫です」
「楽譜……ピアノの?」
「はい」
「ふぅん……」
理人さんが、ふと考え込む。
麦茶のグラスから水の雫が滴り、ぽたりと落ちた。
「理人さん?」
「え?あー、いや、なんというか、少ないなと思って」
「もともと家具付きアパートでしたし、兄貴のものは返しちゃったんで」
「ふぅん。休憩したら、見に行かないか?」
「なにをですか?」
「テーブルセット」
目を細めて、理人さんが笑う。
昨夜、運び込まれたダンボール箱の山を前に、理人さんがぽつりと言った。
今までテーブルセットを買えなかったのは、ひとりで食卓につくのが怖かったからだ、と。
向かい側の誰もいない席を見て、孤独を感じるのが怖かった。
理人さんは、そう言って儚げに微笑んだ。
でも今、理人さんの笑顔は、憧れのヒーローに会いに行く子供のように無邪気だ。
そこには、俺の知らなかった新しい理人さんがいる。
これから、どんな理人さんに出会えるんだろう。
考えるだけで、わくわくする。
「どんなのにしますか?」
「丸よりは四角がいいな」
「確かに、使いやすそうですね」
「だろ。あ、歯ブラシとかもついでに買おう」
「はい」
「シャンプーとかは、とりあえずあるのでいい?」
「もちろん」
「あとは……なにが要る?」
「あっ、タオル買ってもいいですか。古かったやつをけっこう捨ててきちゃったんで」
「うん」
「あ、あとあれ!」
「あれ?」
「ペアのマグカップ!」
「いいよ」
「えっ、い、いいんですか!?」
「うん。なんで驚くんだよ」
言い出したの佐藤くんだろ……って、いや、そうなんだけど!
「てっきり理人さんは、『やだぁ、そんなの恥ずかしいぃ……っ』って嫌がるかと思ってました」
「……変なモノマネするな」
理人さんは上がっていた口角を急降下させ、あっという間にへの字口を作り出してしまった。
モノマネとしてはけっこうレベル高いと思うんだけれど。
そんなことをこっそり心の中で呟きつつ、尖った唇の先を吸う。
理人さんはほんのり頬を染めて応え、ふいと顔を背けた。
「ああいうの、ないかな」
「どういうのですか?」
「ふたつ、くっつけたらハートになるやつ」
……は?
「ま、理人さん!?まさかまた熱っ……」
「なんだよ。好きな人と一緒に暮らせるんだ。誰だって浮かれるだろ」
「そうかもしれませんけど!それを口になんて出されちゃ……」
やばいでしょ!
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