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7-3:午後8時のジュ・テーム (6)

次の日の夜、テーブルセットがやってきた。 約束の時間の二分前にインターフォンが鳴り、大きな箱と一緒に上がってきたふたりの作業員たちは、あっという間に長方形のテーブルと四脚の椅子を組み立て、慌ただしく去っていった。 最後の最後まで悩みに悩んだ結果選んだダイニングテーブルの色は、明るめのライトブラウン。 これも悩みに悩んで最終的にジャンケンで決めた草原色のクッションが、ちょうどいい差し色となって部屋全体に華やかさを足していた。 実は今朝、俺たちはふたりそろって寝坊した。 初夜だなんだと張り切ったせいで、じっくりゆっくりたっぷりねっとりと理人さんを味わいすぎてしてしまったのだ。 いつもより30分遅れて目覚めた理人さんは、とにかくかわいかった。 まず、乾いた諸々でカピカピの身体に気づいて真っ赤になり、それから、白い肌に咲いたたくさんの鬱血の跡に気づいて真っ赤になり、最後に、時間がないからと一緒にシャワーに飛び込んで、また真っ赤になった。 そして、クールビズ真っ最中にも関わらず、いつになくきっちりとネクタイを締めて出勤した。 首のキスマークがうっかり見えていないか、鏡で何度も確認してから。 昼休みの理人さんは、もっと可愛かった。 いつもより5分遅れでカウンターの向こうに現れ、出勤時間がギリギリになったことをぼやいてみせ、でもすぐにその理由を思い出して真っ赤になった。 ニヤニヤを隠せない俺を潤んだ瞳で見上げて、俺のせいで残業になりそうだと唇を尖らせ、最後にもう一度だけ顔を真っ赤に染めてから去っていった。 時刻は、午後7時。 理人さんはまだ帰ってこない。 帰ってきてこのテーブルセットを見たら、どんなかわいい顔を見せてくれるんだろう。 想像して、また頰の筋肉が緩んでしまう。 でも、真新しいテーブルの上にポツンと佇むスマートフォンが目に入り、表情を引き締めた。 テーブルセットの配送に立ち会うこと。 理人さんから課せられた今夜のミッションはそれだけだったけれど、俺には、まだ果たすべき重要なことがひとつ残っていた。 携帯か、自宅か。 ふと悩んで、結局、実家の電話番号を呼び出した。 『もしもし?』 「あ、父さん?」 『お、英瑠。理人君はどうしてる?元気か?』 「第一声がそれ?もう……元気だよ、モリモリと」 『そうか』 「それでさ、ちょっと報告があって……」 『ん?』 父さんの声は優しいし、今さら反対されるとは思っていない。 それでも、やっぱり緊張はする。 俺は、ひとつ深呼吸した。 「実は……理人さんと一緒に暮らすことにしたんだ。理人さんのマンションで……ていうか、事後報告になってごめん。昨日もう引っ越した」 『……』 「父さん……?」 『……えっ』 「え?」 『えっ、ええっ!ええええっ!』 「は……?」 『そ、そうだったのか!うん、そうだな、それがいいな!理人君もずっとひとりで寂しかっただろうしな!うんうん、よかったよかった!はっはっは!』 な、なんだ……? なにかがおかしい。 もちろん同棲を反対されているわけではないから別にいいっちゃいいんだけれど、なんだかすごく……、 「わざとらしくない……?」 『うっ!な、なんだって?わざとらしい?なにが?どこが!?なにも変じゃないよな?なあ母さん!?』 そうねえ、とのんびりした声が、奥の方から微かに聞こえる。 うん、これで確信した。 都合が悪くなると母さんを巻き込もうとするのは、父さんの昔からの癖だ。 「父さん……」 『な、なんだ!?』 「演技下手すぎ。なに隠してんの?」 『うっ!ハァ……本当は口止めされてるんだが、しょうがないか』 「口止め?」 『実は、理人君から聞いてたんだ、同棲のこと』 「は……?理人さんから!?」 『一週間くらい前だったかな?理人君から電話があって、報告してくれたんだよ。息子さんと僕のマンションで一緒に暮らすことになりました。ふつつか者ですが、息子さんの幸せのために精一杯頑張ります。改めてよろしくお願いします、って』 「えぇっ!」 『なんだか結婚の挨拶みたいだなって笑ったら、もし日本で同性婚が許されてたらプロポーズしてました、だってさ』 「は!?プ、プロポーズゥ!?」 え、マジで? ほんとに? あの理人さんが!? いや、あのっていうのはおかしいのかもしれないけど。 え、だって。 プロポーズって……ええええええ!? 「な、んだよそれ!?あの人、そんなのひと言もっ……」 『英瑠』 裏返った俺の声が、低く落ち着いた呼びかけに遮られる。 『大事にしろよ』 父さんの言葉は、驚くほどすんなりと心に落ちてきた。 ――大事にしろよ。 言われたのは二回目だ。 一度目は、実家のダイニングテーブルの前だった。 二度目の今は、届いたばかりでぴっかぴかのテーブルセットの前。 理人さんは、いつだって俺のことを考えてくれている。 俺のためなら身を引く覚悟で、両親に挨拶した。 そして今回も、俺ですら緊張した同棲報告を勝手にひとりで済ませていた。 どれだけの勇気を使ったんだろう。 俺と一緒に暮らすために。 俺と離れないために。 これほどまでに自分を想ってくれる人を、 大事にする以外、どうしろと言うのか。 「……わかってる」 しっかりと頷くと、電話の向こう側の空気が和らいだ。 なんだか急に照れくさくなって、心臓がばくばくしてくる。 「あっ、あとでここの住所送る……」 『もう理人君から聞いてる』 「あ、そう……」 『じゃ、理人君によろしくな』 最後まで〝理人君〟を案じながら、通話は切れた。 ホーム画面に戻ってしまったスマートフォンを握り締めて、父さんの言葉を反芻する。 俺の幸せのために精一杯頑張る? 日本で同性婚が許されてたら? プロポーズしてた? 同性婚? プロポーズ……? プロポーズ。 プロポー……うわ。 どうしよう。 「なんなんだよ……!」 あの人は、いったいどれだけ俺を惚れさせれば気がすむんだ……!

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