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7-3:午後8時のジュ・テーム (8)

時刻は8時。 俺はまだキッチンに立っていた。 なんでかって? 一発抜いてました、ごめんなさい。 耳に直接吹き込まれた『好きだよ』の威力が予想以上で、興奮した股間は深呼吸だけではとても鎮まってくれず、俺は不自然に長い時間トイレにこもることになってしまった。 でもこれは俺のせいじゃないと思う、決して。 誰に聞いても、誰が聞いても、みんな理人さんが悪いって言うはずだ。 きっと本人は無意識で、煽るなんてつもりもなかったんだと思う。 そうわかってはいるけれど、恨み言のひとつでも言ってやりたい気持ちになる。 だってこれから逐一こんなことをされたんじゃ、俺の心臓がもたない。 すっかり伸びてしまったパスタをフライパンで和えていると、ポケットの中でスマホが震えた。 『今エレベーター降りた』 『もうすぐそこ』 『遅くなってごめん』 立て続けに送られてきたLIMEを横目で捉えながら、小走りで玄関に向かう。 そして、 「おかえりなさい!」 勢いよく開け放った扉の向こうには、ふたつの目をこれでもかと見開いた理人さんがいた。 左腕が、中途半場に伸びたところで固まっている。 右手に握られた鞄からは、クチャクチャに突っ込まれたネクタイの端っこがはみ出ていた。 「た、だいま」 うわ言のようにたどたどしく応え、理人さんが一歩後ずさる。 「理人さん……?」 そして、仰け反った身体の前で扉をバタンッ……って、え、ちょっと! 「理人さん!?」 サンダルを引っかけるのも忘れて裸足のまま玄関を飛び出すと、すぐそこに理人さんがいた。 理人さんは、廊下の壁に背中を預け、 「う……っく……っ」 泣いていた。 「えっ、え?理人さん?」 「ご、めん、すぐ、おさまる……っ」 「ごめんなさい。驚かせちゃいました?」 「ちがっ……ちょっといろいろ、込み上げて……っ」 「いろいろ?って?」 「な、んで、今日、カルボナーラ、なんだよ……っ」 「えっ」 「思い出す、だろ、いろい、ろっ……!」 はらはらととめどない涙の粒を散らせながら、理人さんが悔しそうに唸った。 心がほんのりと暖かくなる。 早鐘のように打ち急いでいた心臓の鼓動が、ゆっくりと落ち着いていった。 「もう、理人さん。初日からそんなんでこれから大丈夫ですか?」 さっきまで自分も同じことを感じていたくせに、わざと余裕ぶって問いかける。 理人さんが、歯を食いしばってふるふると首を振った。 「無理、かも……っ」 「え?」 「も、心臓破裂しそう……っ」 ああもう。 たまらなく、かわいい。

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