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閑話:午後8時の花火 (8)
「英瑠も理人くんも、今日は付き合ってくれてありがとうな。気をつけて帰れよ」
「葉瑠兄たちもね」
「英瑠おにいちゃん、理人お兄ちゃん、またね!」
「うん、またね。おやすみ」
人混みの中に消えていく葉瑠兄と瑠未の背中を見送り、理人さんに向き直った。
「じゃあ、俺たちも行きましょうか」
「うん」
「足、痛くないですか」
「大丈夫」
カラン、コロン。
気持ちいい下駄の音を聞きながら、地下鉄の駅とは反対の方向に歩き出す。
あまりの混雑具合に気圧され、地下鉄に乗ることを早々に諦めた俺たちは、できるところまで歩いて帰ることにしたのだ。
同じような考えに至った人たちの群れに取り込まれながら、到着する頃には恐らくそれなりに混雑が緩和されているだろう数駅先を目指す。
葉瑠兄と瑠未は、未砂さんができるだけ近くまで車で迎えに来てくれるらしかった。
「理人さん、よかったんですか?」
「なにが?」
「水笛とかお面とか、結局全部瑠未にあげちゃったでしょ」
俺の隣を歩く理人さんの手には、巾着袋と、白い水風船しか残っていない。
食べ物や飲み物は花火見物中に消費してしまったし、形の残るものはすべて瑠未にあげてしまった。
「あー、元々そのつもりだったから」
「そうなんですか?てっきり理人さんがほしくて買ったのかと思ってました」
「俺は子供かよ……」
理人さんが唇をへの字に曲げた。
かわいい。
「そういえば、金魚すくいはしなかったんですか?」
「したよ、瑠未ちゃんがけっこう上手でさ」
「へえ。あれ、でもそしたら金魚は?」
「お店のお兄さんに返した」
「えっ」
「もらっても上手く育てる自信ないし、金魚すくいの金魚は長生きしないって聞いて……出会ってすぐに別れなきゃならないなんて辛いだろ」
「……理人さん」
「ん?」
「理人さんのそういうとこ、大好きです」
「……あっそ」
今度は唇を尖らせ、顔を背けてしまった。
やっぱりかわいい。
「佐藤くん」
「はい?」
「浴衣、似合ってる」
「えっ……」
「って言いたくて、ずっとタイミング逃してた」
理人さんの横顔が、街灯の淡い光を浴びてほんのり桜色に光る。
「かっこいい、と思う……すごく」
だから、さあ。
そんなことをそんな顔で言われたら――
「家着いたら、速攻で脱がすから」
えっ!
「理人さんが?」
「うん、俺が。だから自分から脱いだらぶん殴る」
ぶん殴るって……あ!
「じゃあ、あれやらせてください」
「あれ?」
「帯を引っ張って、くるくる回りながらアーレーって言うやつ」
「やだ」
「えぇー?」
「俺は自分で脱ぐ」
「は?だめですよそんなの!俺だって脱がしたい!」
「ばか、声がでかいっ」
「あ……ごめんなさい」
肩をすくめると、理人さんはまたぷいっとそっぽを向いてしまった。
ぷらぷらと気だるげに揺れる手をひょいとすくい取ると、離れた視線がすぐに舞い戻ってくる。
「おいっ……」
「大丈夫。誰も見てません」
「ほんとかよ……」
いかにも面倒くさそうにぼやきながら、それでも理人さんの長い指は俺の手に絡みついてきた。
うーん、かわいい。
「あの、さ」
「はい?」
「来年も、一緒に見たい」
「そうですね」
「あと……来年は、佐藤くんとふたりでお店まわりたい」
「えっ?」
「かき氷、半分ことか、してみたかった……」
「なんですか、そのかわいい願望」
「か、かわいいって言うなっ」
え、えー?
もしかして、それができなくて拗ねてたとか?
……もう。
ああもう。
まったくもう!
「理人さん」
「ん?」
来年も、再来年も、その次の年も、理人さんと一緒に花火を見たい。
きっと、来年も理人さんは嫌がるんだろう。
暑いだとか、人がゴミのようだとか、適当な言い訳をいっぱい並べて、なんとか外に出なくていい方法を見つけようとすると思う。
そうしたら、また瑠未に電話してもらおう。
プリンセスにかわいくおねだりされて渋々やって来たくせに、そんなことはすっかり忘れて、目をキラキラさせてしまえいいんだ。
子供みたいに、思いっきりはしゃいでしまえばいい。
俺はそんな理人さんを前に、性懲りもなく、かわいいかわいいと連呼するから。
「佐藤くん……?」
「好きです」
「……ん、俺も」
競い合うように、繋いだ手に力を込める。
そんな俺たちをからかうように、白いヨーヨーの中で、ぽちゃん、と水が跳ねた。
fin
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