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終-1:午後9時の予感 (4)

「ああ……ちょうど行っちゃったとこですね」 ブルルン、とエンジンをふかしながら遠ざかっていくバスの後ろ姿をふたりで見送る。 「あー……次は十分後だな」 「それならすぐですね。売店でお茶買っとこうかな」 「あ、俺も行く」 旅館に事情を話したら車だけじゃなくて荷物も預かってもらえたから、随分身軽になった。 一歩前を歩く理人さんの背中には、この旅行のために用意したボディバッグ。 実は俺のと色違いだ。 その中に入っているタオルハンカチも色違い。 念のためにと持ってきた歯ブラシセットも色違いだし、明日水族館に着ていく予定のTシャツも色違い。 サンダルに至っては、色もデザインも同じだ。 揃えた時はなんとも思わなかったけれど、なんだか急に気恥ずかしくなってきた。 いい歳した男がほぼペアルックで旅行……なんて、ふたりして浮かれすぎかもしれない。 ペットボトルの麦茶を一本ずつ買って、バスの乗り場に戻る。 伊勢神宮の最寄り駅だけあって、平日の昼間にもかかわらず多くの人が行き交っていた。 外国人観光客らしき人たちの姿もちらほら見える。 横文字のガイドブックを覗き込み、あーだこーだと議論している家族連れがいた。 真剣な表情で顔を付き合わせている両親をよそに、子供たちはおもちゃの刀を振り回して遊んでいる。 なんとも微笑ましい光景だ。 理人さんもいよいよ始まる旅に思いを馳せ、瞳をキラキラと輝かせているに違いない……と思いきや、への字になった口が全然真っ直ぐに戻らない。 どうやら、ここまでずっと俺が運転してきたことが心に引っかかったままらしい。 「理人さん」 「ん?」 「なんか怒ってる?」 「……怒ってはない」 「そんなに運転したかったんですか?」 「そっ……ういうわけじゃない、けど……ふたりで旅行するのに、佐藤くんばっかり運転じゃ疲れるし、お酒も飲めないだろ」 「理人さんだって飲めないじゃないですか」 「俺のは体質!佐藤くんは飲もうと思えば飲めるんだから、そういうの気にせずに楽しんでほしいんだよ」 別に俺は理人さんに遠慮しているわけじゃないんだけれど、理人さんの気遣いは素直に嬉しい。 「大丈夫。旅館に戻ったらしこたま飲みますから。地酒に興味あるんですよね」 「あー、おかげ横丁にもあったな。確か、升で飲めるとかで……」 ダークグレーのボディバックを身体の正面に回し、理人さんがいそいそとガイドブックを取り出す。 車の中では『ガイドブック見ながら歩くなんていかにも張り切ってるみたいで恥ずかしいから嫌だ』と謎の持論を展開していたのに、すっかり忘れてしまったらしい。 ほんと、かわいいんだから。 「あ、あった。お土産にもいいかもしれないな」 「確かに。でも理人さん、俺に酒飲ませて大丈夫なんですか?」 「へ、なにが?」 「旅館といえば浴衣でしょ。露天風呂もあるし、風呂上がりで浴衣着てる理人さんなんて見ちゃったら、俺もう、いろいろ我慢できないかも」 一瞬きょとん、と見開かれた目がシパパパパッと素早く瞬き、続いて、顔全体が真っ赤に染まった。 反応が予想通りすぎて笑いを堪えていると、理人さんの口がへの字のままプルプル震える。 てっきり、また『変態!』とか『ばか!』とか罵られるかな、と思ったのに、 「我慢する必要なんてない、だろ。ふたりきり、なんだから」 ……って、だからそういうとこだよ!

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