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終-1:午後9時の予感 (7)

「やっ……わらか!」 感嘆の声を上げ、その拍子に脱走しかけた餅の欠片を慌てて口の中に押し込む。 そして、ふたつのアーモンド・アイを目一杯見開いたままもぐもぐと口を動かし、ごくりと音が聞こえるほどに喉を鳴らして飲み込んだ。 「おいしい……!」 ほっぺた落ちそう。 恐らく無意識に漏れただろう呟きを拾って、俺は小さく笑った。 これがテレビのコマーシャルだったら経済効果はいくらになるだろうか。 そんなことを考えてしまうくらい、理人さんのリアクションはリアルで、素直で、かわいい。 「もしかして赤福食べるの初めてですか?」 「いや、お土産とかでもらって食べたことはある。でも、なんか違う!」 「そりゃあ、なんと言っても出来たてですからね」 膨らんだ頰を規則的に動かしながら、理人さんは左手に持った箸を振り回した。 なにか言いたいけれど、口の中がいっぱいで言えないんだろう。 いつになく行儀の悪い理人さんにもう一度笑ってから、俺も割り箸をふたつに割る。 山の峰のようになだらかに象られたそれをそっと挟み持ち上げると、案外ずっしりと重い。 口に含んだ途端に、餅を包んでいたこしあんが儚く崩れた。 「んっ……ほんとだ、美味い」 「だろ?」 満足そうに口の端を上げ、理人さんが早くもふたつ目の赤福に箸を伸ばす。 そしてさっきと同じように半分を噛みちぎると、さっき以上に表情を蕩けさせた。 もちろん赤福は最高に美味いけれど、きっと周囲を覆う非日常な雰囲気が味以上の刺激となって、理人さんを喜ばせているのだろう。 赤福本店は店舗の佇まいからしてその長い歴史を感じさせるし、イートインなんて横文字はとても似合わない畳張りの(えん)に腰掛け、熱々で濃い緑茶を啜りながら出来たての赤福餅をいただく。 ほんの少しだけタイムスリップしてしまったような気分になっているのは、俺だけじゃないと思う。 その昔、お伊勢参りの疲れを癒そうと、長旅に疲れた人たちがこぞってここに立ち寄った違いない。 歴史のことなんてまったく分からないくせに、そんな知ったかぶりなことまで考えてしまう。 「んー、お茶が苦くて余計おいしい!」 そしてもちろん、俺を喜ばせているのは、ほかでもない理人さんの存在だ。

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