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終-1:午後9時の予感 (14)

「ほら、飲めよ。一滴も零すなよ?」 「ありがとうございます」 じっとこちらを見つめる気配を感じつつ、口に含んだ酒を舌の上で転がし、奥の方へと導いていく。 喉を焼く心地よい熱を味わってから、鼻から抜けていく香りを楽しんだ。 「どうだ、俺の酒の味は?」 「飲みやすいです」 「そうだろうそうだろう」 まだ謎のキャラ設定のままなのか、理人さんが腕を組んでうんうんと頷いている。 思わず小さく噴き出すと、ふとなにかを考え込んでからずずいと上半身で迫ってきた。 湿った吐息が顎にかかり、心臓が高鳴る。 「な、なんですか?」 「俺も飲んでみたい」 「は……?」 「ちょっとだけ」 「いや、だめですって」 「ひと口なら死なないから」 「そんな危ない橋渡らせるわけないでしょ」 「佐藤くんに酒飲まされて死ぬなら、俺は本望だけど?」 「冗談でもやめてください!」 なぜだか無性に腹が立ってきて、俺はグラスに残っていた酒を一気に飲み干した。 食道を流れ落ちていく刺激に耐えてから、空になったグラスを座卓に置く。 ゴンッと固い音が響くと、剣呑な空気が俺たちを包み込んだ。 「そこまで怒ることないだろ。ほんの少しなら大丈夫だって言って……」 「だめです。飲ませません」 「佐藤くんの意地悪!」 「意地悪で言ってるわけじゃ……」 「もういい!勝手にもらう!」 「んっ!?」 ゴンッという音が、今度は耳の後ろから聞こえた。 意識の奥の方で、畳も案外硬いんだな、なんて場違いな考えが浮かぶ。 でもそんなのんびりした思考は、ずっしりと重なってきた人の重みにすぐに持っていかれた。 合わさっていただけだった唇が強引にこじ開けられ、分厚い滑りが入り込んでくる。 その不躾な侵入者は奇妙に蠢き、俺の口内を大胆に舐め回した。 「んっ……ふっ……」 ああ、もうこれはギブアップするしかないやつだ……と頭の中で白旗を大振りし、再び顔を出した煩悩に導かれるまま、いらやしく揺れる細い腰に手を添える――と、 「うえっ……おえっ……!」 理人さんが、急に嘔吐(えず)き出した。 「だ、大丈夫ですか?」 「飲みやすいってうそだろ!」 無理矢理キスしてきた相手に吐き気を催されて複雑な心境になっていたけれど、どうやら原因は俺ではなかったらしい。 理人さんは慌てた様子でお茶を口に含み、うがいするようにぶくぶくと頰を動かしていた。 「酒の味初めてじゃないですよね?飲めないってわかるまで飲んでたって……」 「そうだけど、毎回ぶっ倒れてたから味なんて覚えてない。これが美味しいのかよ!信じられない……」 理人さんはなにか凶悪なものでも見るように酒瓶を睨み、それから断りもなしに俺のお茶までをゴクゴクと飲み干してしまった。 プハァッと豪快に息を吐き、さも今気づいたとでも言うように、はたと俺を見下ろす。 「佐藤くん?」 俺は、完全に呆気に取られていた。 不意打ちのキスで昂ぶりかけていた熱も、あっという間に元通りだ。 だって、理人さんがあまりに……あまりに……。 「……プッ」 仰向けの俺に跨ったまま、理人さんがビクリと震える。 俺は、ありったけの腹筋を使って勢いよく身体を起こした。 「ふっ……ふふっ、ははははっ!」 それでも、笑いはおさまらない。 「な、なんだよ!笑うな!」 「ああもう、理人さん!」 「んっ……んむっ、ちょ、やめ……っ」 なんだかもういろいろとたまらなくなってしまった俺は、酒くさい息を全力で嫌がられながら、理人さんにディープなキスを施したのだった。

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