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終-1:午後9時の予感 (16)
「お前、俺のこと撮りすぎだろ……」
長い指が、スマートフォンの画面を気だるげに行ったり来たりしている。
そのたびに胸板に預けられた背中の凹凸が蠢き、細い毛先が俺の首筋を揶揄ってくる。
理人さんが俺に甘えている。
その事実だけでもうすでに呼吸を乱されていると言うのに、無臭のシャンプーで洗ったはずの髪から漂ってくる香りが何故だかひどく甘くて、俺の心臓はもう破裂寸前だ。
全身を駆け巡るべく送り出された血液が、勝手に一点に集まってその存在を主張してくる。
浴衣越しにバレてしまうのがなんとなく嫌で、さりげなく背中を押し離して距離を保とうとするけれど、理人さんの身体はすぐに舞い戻ってきてしまう。
重力に逆らう素ぶりもまったく見せず、ポスンと背中から俺の中に倒れ込んできた。
「理人さん、あの……」
ちょっと離れてください。
そう続くはずだった言葉は、音にならなった。
覗き込んだ理人さんの瞳が、儚げに揺れている。
繰るのをやめたらしいスマホの画面には、おかげ横丁の街並みをバックに並んでピースする俺と理人さんの姿が映し出されていた。
せめて一枚だけでもツーショット写真を撮っておきたいと、嫌がる理人さんを説得して撮ってもらったものだ。
「理人さん?」
「ん?」
「どうしたんですか?」
「カラーになったな、と思って」
「なにが?」
「俺の世界」
ふう、と息を吐いて、理人さんは俺のスマホをそっとテーブルの上に戻した。
そして、またゆったりと俺に体重を預ける。
僅かに室内を彷徨った視線は、すっかり闇に包まれた窓の外を見上げた。
「佐藤くんと出会うまで……特に航生先輩とのことがあってからは、ずっと色のない世界で生きてるみたいだった。ただ生命維持のために必要最低限の呼吸を繰り返しながらそこにいるだけ。死にたいと思ったことはなかったけど、生きていたいとも思えなかった。仕事も頑張ってたつもりだったけど、でも本当は頑張る意味なんてなにも見つけらずにいたんだ。でも……」
畳に突っ張っていた左手がそっと持ち上げられ、薬指が温かくなった。
「今は違う」
俺のそれより少しだけ小さな手が、約束の証を愛おしそうに辿り、やがてそっと俺の手を包み込んだ。
「佐藤くんのおかげだ」
「そういうの、心から嬉しいですけど……なんか怖いです。なにかあったんですか?」
理人さんが、え、と俺を振り返る。
「なんで今日はそんなにも感傷的なんですか」
「そうか……?」
「そうです。いなくならないですよね……?」
ふ、と空気が笑った。
「ならないよ」
「ほんとに?」
「うん」
「じゃあ、証拠ください」
「証拠……?」
「約束の印、つけて」
浴衣の襟をはだけさせると、理人さんはギョッと目を見開き、アーモンド・アイからその輪郭を奪った。
この酔っ払い!
またそうやって怒られるかな、なんて思ったけれど、尖った唇は言葉を紡ぐ前に俺の肌にたどり着いた。
「んっ……!」
鎖骨の上が、チリっと引き攣る。
湿った空気が遠ざかると、今度は歯を立てられた。
焦れったいほど優しい甘噛みを繰り返され、目の裏が熱くなる。
「跡ついた?」
「うん……」
こくりと頷き、理人さんは額をぐりぐりと押し付けてきた。
両方の耳が真っ赤だ。
「なんで今さら照れるんですか。いつも俺がやってるでしょ」
「佐藤くんは変態だからいいんだよ」
「あ、ひどい」
「ちょ、待っ……あいて!」
「言いましたよね。俺に酒飲ませていいのか、って」
畳の上に、繊細な髪がさらりと広がる。
細い手首を縫い付けると、理人さんがにやりと笑った。
いかにもなにか企んでますと言いたげな視線を俺と合わせたまま、長い脚をもぞもぞと動かし……って、ちょっと!
膝が……当たってるから!
「ちょ、ちょっと、理人さん……!」
「いいんだよ。こういうことしたくて旅行に誘ったんだ」
「もう……どうなっても知りませんよ」
唇に噛みつき、逃げる舌先を絡めとり動きを封じる。
浴衣の隙間から手を差し入れ、胸の飾りを指先で摘んだ。
「あ、佐藤くん……っ」
「なんですか。もう止まりませんよ」
「ち、違っ……い、言っただろ。俺、願いごとしなかった、って」
「言いましたね。それが?」
「か、感謝してたんだ。佐藤くんと出会えたことを……あ、んっ」
「え……?」
「ありがとうって、神様に……っ」
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