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終-1:午後9時の予感 (20)
「……承知しました。明日八時に第六会議室で……はい、おやすみなさい」
理人さんは唇を尖らせながら戻ってきた。
真っ暗に戻った画面に映る自分を見つめながら、眉を寄せている。
「理人さん」
「んっ?」
「お風呂入りますよね?今沸かしてます」
「ありがとう」
「電話、なんでした?」
「んー……部長が、なんか明日の朝一で大事な話があるって」
「えっ、まさか転勤?」
「もしそうだったらどうする?」
「一緒に行きます」
「……」
「理人さん?」
「あー……普通に即答するからびっくりした」
ほんのり染まった頰を手で隠しながら、理人さんがはにかんだ。
「ごめん、冗談。大丈夫、こんな変な時期に転勤はないから」
「そうなんですか?」
「今月と来月は中間決算で大忙しだからな。そんな時期に異動者なんて出したら、それこそ全社員からクレームが来るよ」
「うーん……じゃあ、話ってなんなんですかね?」
「さあ。ま、明日になったらわかるだろ」
スマホをもう一度眺めてから、理人さんはそれをキッチンカウンターに置いた。
そして、唇をひん曲げる。
「なんか、急に現実に引き戻された」
「え?」
「明日からまた仕事かーと思って。もうちょっと余韻、ほしかったな……」
理人さんが拗ねてる。
かわいい。
あ、そうだ!
「理人さん、ほら」
シャツの襟口を引っ張って見せると、理人さんの顔が一気に茹で上がった。
顔を背けながらも、視線は密かにその一点に集中している。
あの夜つけられたキスマークの名残に。
「余韻復活しました?」
「したよ、変態」
「あ、ひどい」
せっかく慰めたのに。
「もう……とりあえずお風呂、入るぞ」
「え、一緒に入るんですか?」
「だってもう眠くて倒れそうだからさっさと入っちゃいたい。佐藤くんも疲れただろ」
「そうですけど……ふたりで入ったら、露天風呂みたいなことになっちゃうかも?」
「安心しろ。そしたら全力でぶん殴って止めてやるから」
理人さんはにやりと笑ってみせると、あっさりと踵を返した。
だんだんと肌色が増えていく背中を見送りながら、俺は、心の奥で燻る嫌な予感を拭えないきれなかった。
部長の話って、いったいなんだ――?
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