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終-2:午後0時の祈り (2)

8時半を回ると、閑散としていた店内にも人の出入りが増えてきた。 久しぶりの猛暑のせいか、アイスコーヒーがよく売れている。 もし一緒に出勤してきていたら、理人さんも『冷たいコーヒーのでかいやつ』を注文していたに違いない。 「お、佐藤くん」 「おはようございます。いらっしゃいませ」 木瀬さんが、渋谷さんと連れ立ってやってきた。 最近は、前にも増してふたりが一緒にいるところをよく見かける。 木瀬さんは相変わらずニヤニヤしているし、渋谷さんは無表情だけど、俺にも浅い会釈を寄越してくれるようになった。 「旅行、どうだった?」 「楽しかったですよ、それはもう」 「うっわ、堂々と惚気かよ!信じられねえ」 視界の端で、宮下さんが深々と頷いているのが見える。 「で、お土産は?」 「ありますよ。あとで理人さんから受け取ってください」 「なに?酒?」 「ええ。三重の地酒です」 「なんだ、正解だったんじゃん」 「え?」 「いや、理人のやつ今朝からずっと俺のLIME未読スルーしてやがるから」 不機嫌そうに眉を寄せ、木瀬さんは黒いスマホの画面をずずいと俺に押し出した。 『無事に帰ったか?』 『仕事溜まってるから遅刻するなよ』 『土産なに?』 『酒?』 『おーい』 『無視すんなよ!』 しくしく泣いているウサギのスタンプは見なかったことにする。 お土産を強請っているように見せているけれど、きっと内心では理人さんのことを心配していたのだろう。 本当に、器用なようで不器用な人だ。 「部長さんと会議中だからだと思いますよ」 「は?部長……?」 「昨夜電話があったんですよ。朝一で話したいことがあるって」 あったことをそのまま伝えただけなのに、なぜだか木瀬さんは大袈裟に目を見開いた。 「まさか、|長谷部《はせべ》部長ですか?」 言葉を失ってしまった木瀬さんの代わりに、渋谷さんが俺に問う。 「名前までは聞いてませんが……木瀬さん?」 レジカウンターが、コンッと鳴った。 手渡したはずのプラスチックカップがふたつ、元の場所に舞い戻っていた。 「悪い、佐藤くん。コーヒー、やっぱりいらねえ」 「あ、そうですか……?」 「渋谷」 「はい、探しましょう」 え、探す? 「今のあいつが出入りできる場所なんて限られてるよな?」 「でも神崎課長の社員証を使えば、どこにでも入れますから」 「そうか。片っ端から見るしかねえな……」 ……ってもしかして、理人さんを? 「あ、第六会議室」 「第六……?」 「って、確か電話で言ってた気がします」 「サンキュ、佐藤くん。渋谷、行くぞ」 「はい」 「あ、木瀬さん、お金!……って、行っちゃったし……後で返すか」 行き場をなくした小銭をポケットに入れ、早足に去っていくふたりの背中を見送る。 一体、なんだったんだろう。 木瀬さんのあんな真剣な表情、初めて見た。 それに、渋谷さんもいつもはない皺を眉間に作り出していた。 胸がざわざわする。 スマホを取り出し、LIMEを開いた。 誰からも、なんのメッセージも来ていない。 もちろん、理人さんからも。 『木瀬さんが探してましたよ』 『なにかあった? 』 『大丈夫?』 始業時間を知らせるチャイムが鳴り響いても、既読はつかなかった。

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