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終-3:午前10時の旅立ち (28)

クリスマスらしい甘ったるいにおいが充満している。 「理人さん」 ウイイイイィィン! 「理人さーん!」 フルパワーで生クリームを泡立てていたハンドミキサーが、ゆっくりとその動きを止めた。 途端にシン……と静まり返ったキッチンカウンターの向こう側から、エプロン姿の理人さんが振り返る。 「呼んだ?」 「はい。携帯鳴ってますよ」 「え、ほんと?全然聞こえなかった」 理人さんは、エプロンの裾でいそいそと手を拭った。 その仕草がまるで絵になっていなくて、ちょっと笑ってしまう。 麦わら帽子からおもしろTシャツまで、何でも似合ってしまう理人さんにも似合わないものがあるのかと思うとなんとなく嬉しいし、そのことを知っているのが俺だけだと思うともっと嬉しい。 「航生からLIMEだった」 「木瀬さんから?」 「今夜は渋谷とデートだから来ないってさ」 「そうですか、よかった」 「うん、あっちはあっちで上手くいってるみたいだな」 「それもありますけど」 再びハンディミキサーを構えた理人さんが、可愛らしく首を傾げる。 「理人さんとふたりきりのクリスマスになったってことでしょ?」 「え……じゃあ、なんで声かけたんだよ?」 「社交辞令です」 「はあ?」 理人さんはいかにも不可解だと眉を潜めたけれど、それは半分くらい……いや、四分の三くらいは本当だった。 あの事件を通じて、確かに俺たちの間には不思議な絆が生まれた。 それはまるで、共通の敵に立ち向かった同志のような。 思わずお互いを「お疲れ様」「よくやった」と労いたくなるような、不思議な関係。 でもその結託はもちろん一時的で、休戦協定が解けてしまえば、俺たちはまた理人さんの過去の男と今の男に戻る。 だからと言って、宣戦布告するとか、そんな幼稚な嫉妬はもうない。 でも、以前と同じか、それ以上の距離を保つべきだと俺は思っていた。 木瀬さんが理人さんにつきっきりだったのは、自分の行動が結果的に長谷部を突き動かしてしまったという罪悪感がそうさせていたところが大きい。 理人さんもそれを感じていたから自分から木瀬さんを頼ることはできなかったし、渋谷さんだって、表情にはほとんど出ていなかったけれど、内心は複雑な気持ちでいたと思う。 だから、俺の社交辞令を木瀬さんがきっぱりと断ってくれて安心した。 大切な日を理人さんは俺と過ごし、木瀬さんは渋谷さんと過ごす。 それがあるべき姿なのだから。

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