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終-3:午前10時の旅立ち (29)
ウイイイィン、と心地よい周波数で断続的に響いていた音が、ガガガガッ……と不吉なものに変わり、さらに「ぎゃっ」という、より不吉なうめき声に変わった。
いちごのヘタを切り取っていた手を止めて振り返ると、
「あーあ、だからボウルに当てちゃだめだって言ったのに」
理人さんの顔が生クリームまみれになっていた。
「佐藤くんがツノが立つまでやれって言ったんだろ」
「もう立ってますよ」
「えっ!」
「ほら」
白いクリームの海に沈んでいたハンドミキサーを持ち上げてみせると、その軌跡はしっかりと形に残った。
理人さんが、そういうことか、と小さく独りごちる。
きっと今回も、『二本の立派なツノが生えた生クリーム』のようなすごい絵面を想像していたに違いない。
「もうすぐスポンジも焼き上がるし、あとは冷ましてデコレーションするだけですね」
「うん。あ、いちごひとつちょうだい」
「つまみ食いですか?」
「いいだろ。さっき口の中までクリームが飛んだから甘くてしょうがないんだよ。いちごで中和したい」
「もう、しょうがないなあ……」
最もらしい理由を聞かさた上に、幼い子供のように口を開けて強請られてしまえば、求められるがままにいちごを差し出す以外に、俺の選択肢は残されていない。
まだカットしていない方のいちごの山から特に赤が濃いひと粒を選び、親指と人差し指でつまみ上げた。
そして、熟した果実のように桃色に火照った舌先にそっと乗せる――と、
「――っ」
理人さんの長い指が素早く俺の手首に絡みつき、爪ごといちごを頬張られた。
プチッと瑞々しい音がして、溢れ出した果汁が熱い口内を冷やしながら埋め尽くしていく。
ひんやりとした感覚が指の側面を撫でたと思ったら、それはすぐに生暖かい滑りに変わった。
「んっ、いちご美味ひい」
奇妙に蠢く口内の粘膜が、舌と一緒になって指の間の敏感な皮膚を刺激してくる。
腰がゾクッと泡立ち、悪寒にも似た震えが背中を一気に駆け上った。
「ちょ、ま、理人さっ……」
「したい」
「へぇっ?」
「だめ……?」
赤く染まった舌が、チロチロと揶揄うように俺の視界を抉ってくる。
思わず喉を鳴らすと、股間がほんのりと熱くなるのを感じた。
「もう、その角度ずるいです……」
理人さんはニヤリと口の端を上げ、俺のズボンに手を伸ばした。
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