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終幕 (2)
「瑠加ちゃん!」
「理人?」
淡いピンク色のベッドの上で、瑠加は目を見開いた。
スライドドアの僅かな隙間から覗き込む俺たちに呆れたような笑いを寄越し、どうぞと招き入れてくれる。
身体を起こそうとするのを理人さんが制すると、瑠加は少し迷ってからまた横になった。
「ふたりとも、来てくれてたんだ」
「うん。その瞬間には間に合わなかったけど」
「ほんとにお疲れ様。おめでとう……!」
「ありがと、理人」
瑠加の顔には、濃い疲労の色が滲んでいた。
それでも、人目を憚らず涙する理人さんを包み込むような眼差しは、これまでに俺が見たどれよりも穏やかで、優しい。
これが母の顔というものなのだろうか。
「失礼しまーす。赤ちゃん来ましたよ」
看護師さんに押され、小さなベビーベッドがガラガラと運び込まれてきた。
その中心で、水色のニット帽を被った彼がすやすやと眠っている。
改めて見下ろすと、本当に小さい。
それに――
「かわいい……」
「かわいい……」
おっと、完全にユニゾンしてしまった。
「理人さん、さっきからかわいいしか言ってませんよ」
「かわいいんだからしょうがないだろ!ものすごく小さいし……まさか手乗りサイズ?」
「や、それは言いすぎでしょ」
「えー、だってさあ……あ、瑠加ちゃん」
「ん?」
「赤ちゃんの手、触ってみてもいい?」
「手?」
「きゅって握られたい……」
「ああ、把握反射?」
「うん!」
「いいよ、もちろん」
理人さんが愛おしそうに目を細め、穏やかな表情で眠る天使を見つめる。
そして、その長い指を生まれたての小さな手に絡め――
「ストップ!」
――ようとした理人さんの手首を、別の男の筋張った手がガシィッと掴み取った。
持ち主は、あの三枝さんだ。
「神崎、お前はおさわり禁止!」
「は……?」
「お前が触ると人たらしが移るんだよ!」
「なんだよ、人をばい菌みたいに!ちゃんと消毒しただろ!」
「支社長にまんまと気に入られて秘書室に引き抜かれたやつの言葉を誰が信じるか!」
「そ、それは俺のせいじゃない!」
「うっるせ!この抜け駆け三昧野郎!」
ぎゃあぎゃあ、わあわあ。
三十路をとっくに過ぎたふたりが、大声で喚き散らしている。
相変わらず大人げないなあ、この人たちは。
瑠加と三枝さんは、理人さんのあの事件をきっかけに出会った。
真実の愛を求めるもの同士すぐに意気投合したらしく、周りがふたりの関係に気がつく頃にはもう結婚していた。
もちろん、ふたりにとってはいろんな紆余曲折があってのことなんだろうけど、俺たちの体感的にはそれくらいのスピード感だ。
そして、つい数時間前に誕生したのが、三枝家待望の長男。
名前はまだないらしい。
「太郎うるさい!静かにして!」
「あ、ご、ごめん、瑠加!か、身体大丈夫?なにか飲み物持って来ようか!?」
「いらない。だから黙ってて」
「は、はい……!」
厳密に言うと三枝さんの方が三ヶ月くらい年上なのに、瑠加は完全に尻に敷いている。
幸せそうだから誰もなにも言わないけれど、時々ヒヤッとするくらいの瑠加の言動にも満面の笑顔で喜んでいるところを見ると、三枝さん自身にも天性のMっ気があるのかもしれない。
それにしても、
『まさか三枝さんと親戚になるとは思わなかった』
ふたりの結婚式で俺と理人さんがそう声を揃えると、三枝さんは『それはこっちの台詞だ!』とジタバタした。
それもそのはず。
彼は、俺と理人さんの関係にまったく気づいていなかったのだ。
――普通気付くだろ。
木瀬さんはそう言って呆れていたし、正直俺もそう思った。
それでも三枝さんはひとしきり驚いた後はあっさりと受け入れて、理人さんにも俺にも以前と変わらない態度で接してくれている。
もしかしたら、そういうところが瑠加とウマが合う理由なのかもしれない。
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