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第8話

 なんで。2人きりに戻った部屋でリーネアはガーベラを花瓶に挿す。病人が冷めたスープを口にしようとして皿を取り上げた。 「(あった)め直すよ。身体冷やすから…」 「…すみません」  何に対して謝ったのか分からない。来訪者が帰った後、ダントプントは暫く固まっていた。皿を持って階段を下り、宿の店主がいる1階へと行くと出入り口の軒下に赤い傘を持ったヒュインの後姿があった。急いで店主に皿を渡して、温め直すように頼むとヒュインのもとへ走った。 「おにいさん!」  ヒュインは振り返って、突進する勢いのリーネアを抱き留める。天気のせいで湿っぽいが、彼の清涼感のある甘さと香辛料の風味を帯びた柑橘の香りが鼻を抜けた。 「リーネアさん、気を付けなキャ。転んで傷でも付けたら大変だヨ」 「ヒュインおにいさん、ダントのこと…ダントのこと…」 「素敵なお兄さんに、お大事にって伝えてネ。今夜も歌うヨ。そして心願(いの)るんダ。全て無駄に思えてきたんだケド、でもそうしてる間はちょっとだけ、ダントお兄さんのこと、気が紛れるから…苦しくなるノ。胸とネ、お腹の底が沁みるみたいに。耳でずっとダントお兄さんの声がして、鼻があのお花みたいで夜明けの森みたいな匂いに包まれたくなるんダ。だから心願(いの)るヨ。それでちょっとだけ…逃げるんだヨ」 「ぼくが言ったから?本心、なの?」 「うん…チミに見抜かれてたんだネ。チミはボクよりボクを知ってるんダ。すごいヤ。人に感謝はしてるケド、特にチミには、チミには特に…感謝しなきゃダ」  リーネアの前に跪き、白い手に口付ける。 「それ、もうダント以外にやっちゃだめだよ」  ヒュインの褐色の指の中から白い手を乱暴に引き手繰った。 「君の唇は、もうダントだけのでしょ。守れないなら、裏切るなら焼いてやる」 「いけないヨ。ダントお兄さんは、そんな人じゃないんだから…もう少し、自信を持ってもいいくらいの人なんだから。でもそこに甘えちゃいけないんだよネ。分かったヨ、もうやらない」  朗らかに口角を上げて、立ち上がる。厨房の店主に呼ばれて、ヒュインに一言二言残すと、熱くなったパスティーナスープを2階の部屋へと運んだ。 「熱いから、気を付けてね」 「ありがとうございます…すみません。本来ならば俺が、貴方の面倒を看るべきなのに…」 「そんな決まりはないよ。ダントはぼくにとったら子供なんだから。それに、そうでなくたって、今は元気無いんでしょ」  ダントプントはリーネアへ無防備な顔を向けた。 「風邪じゃなくて。ぼくも治せないことだってあるものさ。そういうのでまだ動けないってこともそりゃあるだろうね」  湯気の上がるスープには新しく溶き卵が浮かべられていた。木製スプーンがぼろきれのように揺蕩うそれを掻いている。 「貴方は俺を、好いているんですか。貴方は優しい方だとよく耳にします。誰にでもそうなんですか」  リーネアはガーベラの一輪挿しをじっと見ていた。 「"好いている"って何?」 「好きってことです。俺のこと、好きなんですか」 「好きって何?」  パスティーナを湯気まで掬い上げたスプーンがまたスープの中に戻った。ダントプントはリーネアへ顔を向けた。ガーベラからダントプントへ意識を移す。 「空と、海みたいなものですよ」 「は?隣り合ってるってこと?」 「海が青いから、空が青いんです。海が空を映す気になって、海はやっと青を得られる…」 「違うよ。空と海が青いのは原因が違うんだから、質も違うよ。どっちかが青だというのならどっちかは紛い物だ。何言ってるの?」  木製スプーンが粒状のパスティーナを掬い上げ、そして静かに口へ運ばれる。 「何を言ってるんでしょうね…自分でも分からない…いつか分かります、貴方にも。弱ると、人は文学者になってしまうものなんです…文学など知らなくたって…文字すら読めなくたって…」 「そのとち狂った考えは、ぼくが治しきれない癲狂みたいな風邪のせい?あの踊り子のせい…?高等数学だよ。みんなのいう神々が作った自然だなんて、高等数学で、小難しい博士の大好きな数字と物理と化学なんだよ。…だからぼくは化け物なんだ」 「いつか貴方にも分かると思うんです。貴方は長く生きるんでしょう?いつか分かります。いつか、きっと。分からなかったら、いつか分かるかも知れない期待を抱いてゆけるでしょう」  ダントプントの翠玉にリーネアは動けなくなってしまった。指1本動かせなかった。熔けて溢れ出し、宝石のように固まりそうな翠が数度素速く瞬いて、伏せられてからやっと金縛りが解けた。 「俺のつまらない意地もこだわりも、彼の前では俺は、小さいんです。あの人が喜ぶのなら些事なんです」 「ぼくに慚愧(ざんき)するのは間違ってるよ。改める気もないくせに…!違う、改められないよ。だって君はあの踊り子がッ!……あの踊り子が…あの踊り子に…"ぞっこん参ってる"んだから。それならそのまま、全部意地もこだわりも捧げたらいいんだ…ダントプント=ポワンはそこに死ぬんだよ。均されたつまらない人間になればいいんだ」 「…その通りです。反論の余地もない。でも俺は彼とは歩めない。それがさっき、貴方が問うた『なんで』の答えです」  ダントプントは笑うのだ。 「ぼくに笑うな!あの踊り子に向けた笑顔(カオ)でぼくを見るの、やめてよ…!」  形の感じられない刃が、身の底から突き抜けていく。うっ、うっ、と内側から殴り付けられている。船にも酒にも慣れない船員がよく腹から胃液を吐いていたが、その前の症状に似ていた。この弱りきった男の反応は分かりきっていて、それから遠去かりたくなると部屋を飛び出した。雨が降り続いている。地響きがして、広場から見えていた山のどこかが崩れたことを悟った。だが大してリーネアは関心を持たなかった。宿の入り口の軒下の階段手摺りに座り、濡れて光る石畳を眺めていた。歌が雨の中、ずっと続いている。絶えず透き通った声が、土砂崩れに揺らぐことなく沁みていく。あの踊り子に、治癒術の効かない病に弱った男に柔らかく微笑まれるみすぼらしい山犬に、制御の利かない力に動かされ歌声の元へと走った。民家の窓から時折雨の様子を見ている読書中の老翁や人形遊びをしている娘がリーネアを目で追った。日が暮れるまで、野良犬を探して駆けずり回った。居場所を探るという考えも浮かばず、まるで一瞬のうちのことのように数時間、雨の中を走り回って、街の至る所を探したが、子犬のふりをした狂犬は振り回すことしか能のいい尾の先すらもリーネアの前に見せることはなかった。耳喧しい遠吠えばかりが雨の中を抜け、街を包む。浜辺を勘違いしている波が打ち寄せる広場へまた辿り着いて、空を仰いだ。やっと背を押し足を回す妙な力から放たれる。雨は降り続けているくせ、空は夕暮れを迎えている。変だった。遠くの山が崩れ、斜面にあった黄の点々と緑が土に呑まれていた。歌が止まったが、また別の歌声が始まった。  眠れよ 眠れ 紅い石を抱き  包まれて 歌声に 波の音の子守歌  等しい雨が恵み 芳しき果実の酒をお飲みなさい  身を投げたまへ 人の実ならざる 空の子よ  翼を毟られ 羽搏きながら 海の底へ 地の底へ  異国語の歌にリーネアは広場前の高架橋を振り向いた。高架橋の窓からウィンキールが肘をついてリーネアを見下ろしていた。空色と視線がぶつかるとウィンキールは肘をかけていた窓から身を離し、美術館と屋敷を繋ぐ渡り廊下へ消えていく。誰かに呼ばれたようであり、リーネアを避けるようでもあった。 「ネ、ネ、あの歌サ、誰のことだと思う?」  真後ろから探していた駄犬が現れる。咄嗟に振り返った。波が大きく広場へ打ち寄せる。雨が弱くなって、濡れた様子のない野良犬を濡らしていく。 「義弟(おとうと)くんが可愛いなら、教えてあげなきゃダ。出て行くんだって。神の下に生きるつもりカナ」  リーネアの奥にある渡り廊下を見上げてヒュインは言った。 「コックさんが?聞いたの?」 「うん。ボクら、友達なんダ。驚いた?もう違うケド」 「もう違う?」 「分かり合えなかったからネ。分かり合えなかったんだヨ。悲しいネ。皆神から借りた肉体を被っているのにナ。でもボクはネ、彼の中にある神に挨拶するのサ」  ヒュインはリーネアにも渡り廊下のほうを向かせ、両肩に手を置いた。 「村を出て18年。長かったネ…長かった…でも叶わなかったネ…お義兄さんを連れ戻せないなんて…」 「なんで?」 「ご病気なんデショ?お義兄さん」 「治るよ」 「治らないサ」  ヒュインは誰もいない渡り廊下の窓から視線を下ろしてリーネアを見下ろした。紅い目が鋭く金の瞳を射抜く。 「治らないヨ。治らない」  肩に置かれた手が下ろされる。 「おにいさん?」 「大きな街にいれば会えると思ってタ…」 「おにいさん、治らないって何?おにいさんなら治せるの?おにいさん、ねぇ、おにいさんしか治せないの?」  ヒュインが去ってしまう前に、リーネアは見慣れた平服にしがみついた。波が打ち寄せる。 「チミは不思議な子だナ。ボクみたいな浅はかで賤しい乞食に何が出来るノ?」  ヒュインは波が打ち寄せる海へ歩いて行く。足首を海水が浸し、そして引き返していく。 「どこ行くの?危ないよ。ねぇ、おにいさん。おにいさん…ダントが泣いちゃう!やめて!」  リーネアは貼り付いたまま、ヒュインと共に海へと近付いていく。 「この身ひとつで泣いちゃうのなら、泣いたらいいんだヨ。泣いたらいいんダ…!」 「おにいさん!」  足が止まる。波が和らいだ。しがみつくものがふいと消えた。ヒュインのいたところで海水が爆ぜ、飛沫を浴びてリーネアは打ち寄せる波へと落ちた。  ずぶ濡れで帰ってきたリーネアを引っ張りダントプントは1階の暖炉を借りた。ベッドから立ち上がる姿は今にも倒れてしまいそうなほど不安定で、1階の共同スペースの椅子に深く座り込んで身体を傾けていた。温暖な気候であるこの地ではそういくつも暖炉はないらしかった。宿の店主もダントプントの対面に座って温まっている。食料を調達しに行ったために大きく濡れていた。暖炉の前に座らされ、リーネアは煌めく炎に照らされる。店主が乾いたタオルを持ってくると、眠りに落ちそうな目をしていたダントプントは椅子を立ち、リーネアの前に屈んで髪を拭く。湿った毛先が顔をうった。小さな水滴が火傷痕に飛ぶ。それが泣いているようで、リーネアはダントプントに飛び付いた。店主が笑い、ダントプントは眉間に皺を寄せる。 「じっとしていて下さい。拭きづらいです」 「ごめん…」 「いやに素直ですね。寒いんですか」  髪を拭いていく掌の感触にリーネアは目を細める。 「貴方は、」  少し乾いた唇が燈火の色を借りて赤く揺らめいていた。言葉は切れて、続かない。タオルが頭の上で暴れるのをやめた。細めた目を開いてリーネアは首を傾げる。翠の目は横に流れていった。 「何?」 「いいえ…」 「言ってよ」 「猫のようです」  掻き消すようにタオルがまた暴れはじめ、細かくまとまった毛先が頬を叩く。 「なんで躊躇ったの?」 「…猫、嫌いかと思ったので…」 「嫌いじゃないよ、別に」  タオルが外され、白い髪にも燈火が光った。 「きちんと温まるんですよ、いいですね?」  大雑把に乱れた髪を撫で付けて、暖炉の前にリーネアを座らせると、ダントプントはひとり2階へ上がって行ってしまった。少しの間店主と喋って、衣服がほぼ乾くとダントプントのいる2階の部屋へと戻った。ベッドの柵に背を凭せかけ、腹に掛けていた薄布を力強く掴み、唇を噛んで対面の壁を凝視していた。しかしリーネアの踏んだ床板が傷んで軋んだため、ダントプントは首を向けた。 「随分と早いですね。大丈夫ですか。風邪など引きませんように」 「いいじゃん。ぼくは化け物で、何なら自分で治すんだから」 「そうもいきませんよ」  リーネアはダントプントの傍まで寄ると、ベッドへ乗り上げた。 「具合、悪いの?」 「いいえ。どこも痛くはありませんよ。苦しくもない」 「でも、じゃあなんで…」 「雨だからです。ベッドの上にいるくらいしか、することないじゃないですか。本当に大丈夫ですよ。心配しないで」  だが駆け抜けてを避けて、白い手は衣服を捲り、腹を晒した。肌理細かい感触に口の中が蕩けたが、掌を当てて病状を探る。踊り子の断言に背筋に夜風が吹き抜ける心地がした。分からなかった。触れたなら治るはずなのだ。だから治る。しかしあの野良犬の言葉が頭から離れなかった。 「ねぇ、コックさんのことだけど」 「ウィンクがどうしたんですか」 「船、降りるつもりみたいなんだけど…」  ダントプントは小さく唇を開いた。え、と声が漏れて、黙り込んでしまう。それから俯いて、掛け布を握った。 「義弟(おとうと)、なんでしょ…?」 「さすがです。お見通しですね。彼に対して…俺は上手くやれましたか」 「分からないよ。だってぼく、そういうのいないし。でもコックさんはダントのこと、もし居なくなったら泣いちゃうくらいには思ってるよ」 「ありがとう。でも良かった。彼には似合わないでしょう、あの生活」  リーネアはダントプントの顔を覗き込む。 「一緒に暮らさないの?」 「…俺は、家族を捨てたんですよ。母と弟を捨てて水軍の船に乗り込んだんです。今更俺の口が、彼の兄を名乗ろうなんて都合が良すぎる。彼とは兄弟だったけれど、でも俺は一度捨てた身だから…解消されたわけではないけれど、やっぱり、捨てた身だから…」 「…ダント」  震えた声に俯く頭を抱き締める。汗ばんだ首に腕を回して、穴が空いたような感じのある胸にダントプントをおさめた。 「ダント。やっぱりダントしかいないよ。ダントがいい…」  黒髪に鼻先を埋める。下腹部が大きく疼いた。 「貴方も、俺を…」  歪んだ声を最後まで聞いてはいられなかった。知らない感覚に息が上がった。頭の中を吸い出されるような浮遊感と骨が粉砕されそうな軋みに目の前が点滅した。指先が強く引っ張られ、陶器のような爪が鋭く伸びた。側頭部に激痛が留まり、故意に腕を揺さぶっているのかと思うほどの振戦に襲われる。大きな勢力が渦巻いて下腹部に向かっていく。 「ダント…ダント、君は神の親になるよ。永遠の命を手にするよ。――人の生を棄てるけどよかろう?動物でなくなるがよかろう?我を生めるな?生めるな?この地の長の(はは)になれるな?」  見慣れた3人部屋に風が吹き荒れる。蜘蛛の巣のような白く透けた糸が行き交い、触れたならば破れそうな布を織り、天井に張り巡らせされていく。ダントプントと、片側の頭を大きく歪ませたリーネアの周りを糸が巻いていく。瞠目するダントプントの首や両手にも柔らかな糸が巻かれていく。幾重にもくるくると繊細な白い糸が巻かれていった。 「リーネア、様…」  翠の奥の瞳孔が開く。片側の頭部が歪み純白の髪の下から角が震えながら芽吹いていく。 「吐け。わぬしの胸に巣食っている毒を、吐け」  ダントプントと、片側から金に輝く華奢な角を生やしたリーネアをまだ透けた繭が包み込んでいく。顎を掴んで、親指で火傷痕を逃れた柔らかな肌をなぞると鋭い爪が皮膚を傷付けた。ダントプントは数秒リーネアを信じられないと言わんばかりの眼差しで見ているだけだったが、突然咽喉を捩らせ、嘔吐(えづ)いた。真っ白な空間と影に、赤が散る。シーツに細かな固形物が散った。紅く照る石が無数に転がった。 「あの野良犬め」  リーネアは嵐を吹く唇に口付けた。 「あっ…ん……ぁ」  舌を挿し込み、口腔に残った小石を絡め取る。薄く長い舌が外へと紅く深い色の石を投げ捨て、再びダントプントの口内へ侵入した。 「…ぅん、は…ッ」  舌で探りながら小石を探す。舌を避けさせるが力が抜け、リーネアの舌を邪魔する。吸いながら絡め、退けながら上顎を舐め歯列や舌の裏も漁ったが全て吐き出したらしかった。溢れ出す唾液を吸い取り、唇を離した。 「悦いか」 「ぅ…ん、ぁ……は…っ」  喉を押さえようとするがシーツに固定され自由の利かないまま呼吸を整える姿に行動を急かされた。糸を爪で断つ。くたりとした腕上げ、咽喉を押さえたダントプントを抱き寄せる。 「リーネア様、やめ……くだ…」 「やめぬ。我を生め」  翠の目が潤み、首を振った。黒い髪がシーツに散らばった。繭の外、窓の奥から雷鳴が聞こえた。 「いや…やめ……だめ、です…」 「好いた者を想え。あの者はいかような声をしておったか…」  長い爪に構うこともなくダントプントの腹を胸まで捲った。鼻を寄せ、胸から腹までの慣れた匂いを嗅ぐ。リーネアの金の双眸にある亀裂に似た深淵が丸く開いた。固い腹を舐める。 「あ、あぁ…」 「ここに、宿せ。ここに我を宿せ。わぬししかおらぬ。賤しい人の身を棄てよ。よいな。人の子の歓びを棄てよ。よいな」  下生えから形の良い臍の間を丹念に舐めた。 「リーネア様、リーネア…様…何故こんな…」  強張った身体を抱き締め、臍の下の辺りへ耳を寄せる。 「あの者はわぬしに種子を授けんかった。それが答えよな」  色濃くなった繭の中にも雷鳴の轟音が曇って届いた。 「いいや、授けた。わぬしに…詛呪(そじゅ)を。それもまたあの者の…」 「っ…」  首をもたげさせ腹に耳を当てているリーネアを、ダントプントはやはりまだどこか茫然として見ていた。身を伸ばして火傷痕が広がる頬を口角から額まで舐め上げる。眼鏡を噛んで、首を振って投げ捨てた。瞼に唇を当て、それからまた舐める。ダントプントの右半分と左目にまで伸びた火傷痕が消えていった。なめらかな皮膚に覆われ、リーネアはその頬に自らの頬を擦り寄せる。 「あの者はいかような姿をしていた?想え。乞え。焦がれよ。わぬしに我を孕ませるのは誰だ?」  鼻筋を舌で辿り、額に額を合わせる。ダントプントの両手足首にシーツから生えた白い糸が巻き付いていく。 『ダントお兄さん!』  リーネアの身体が四散し、白い羽根や羽毛が舞い踊る。そこからみすぼらしい衣服に身を包んだ踊り子が現れ、ダントプントに笑いかける。ダントプントの上から離れると、ベッドの横に跪いた。四肢を固定された翠の目が見開く。 『会えて嬉しいヨ。ダントお兄さんはボクに会えて、嬉しい?』  踊り子に釘付けになって眼球は水の膜を張った。 『そんなカオしないで、ネ?ダントお兄さん…きっととっても、キモチイイんだから…約束する。だってボクのこと、好きデショ?』  踊り子は立ち上がると弱い糸が幾重にもなって縛り付ける動かない手に唇を落とした。爪や指の腹にも唇を当てたり、甘く食んだりした。 『ダントお兄さんを優しく抱きますって挨拶するヨ。あなたの中のカミサマに…』  額と瞼、鼻先や唇にキスを落とす。静かながらも荒れた呼吸の中で睫毛が下瞼に強く伏せられ、反っていた。 『あなたを辱めた人間どもみんなに、やっぱり雷を落としたいヨ……ああ、違うよネ。全てを赦さなキャ…だって神様は全て赦してるんだカラ…あなたを傷付けた人間どもが赦しを乞うた時、ボクも彼等彼女等が自分たちを赦せるように、その苦しみから解き放たれるように、心願(いの)らなきゃいけないんだカラ…でもぼくは、君を、』  踊り子は傷口を舐める動物のように執拗にダントプントの顔中を舐め回したり、耳を噛んで引っ張ったりしながら語りはじめる。 『でもあなたはボクを…ボクはあなたの海だから、何も恐れないデ。溶けちゃおうヨ…ネ?』  ダントプントの下唇を吸って、翠を守る長く濃い睫毛と薄い瞼を代わりに見つめると、銀髪の小さな頭を傾げる。吸われて色付く下唇を、噛む。唾液で洗うかのようだった。強張って無抵抗な身体に踊り子はしなやかな肢体を絡める。下半身の膨らみを同じ器官のあるそこへ擦り付ける。眉根を寄せて震えた身を踊り子は撫で、衣類の上から口付ける。 『ボクを拒まないデ…?ボクを……愛して?きっと溶け合うんだから…』 「…君は…彼じゃない……だろう…!」 『そうだヨ…?だから何の負い目もないでショ?ネ?』  胸まで捲れ上がった服をさらに上げ直し、胸の肉粒を艶やかな爪で慎重に引っ掻いた。為す術のない小動物は微かな声を漏らして唇を噛む。 『でも姿も声も、喋り方も同じデショ?舌遣いも。ほら、あの綺麗な爪だって。それとも…』  踊り子の朗らかな笑みが消えた。人懐こい犬の身体は霧散し、そして舞い散る羽毛や翼に紛れ、ウェーブした栗色の髪の気怠げな美青年が現れる。 『こっちのほうがいいですかん?貴方はこっちのほうが、罰って感じがしますもんねぇ?仕方がなかった、ただの償いだとでも思えますか?どうしますん?一線越えた男に抱かれますか?偽物とはいえ置いていった義弟に、また?』 「…やめてくれ…!頼む…ミュディはやめてくれ…!」  ダントプントは暴れ、栗色の髪の男は鼻先が触れ合うほどに迫った。ベッドが軋み、白い糸に押さえ込まれた両手が真っ赤に染まっていく。 『へぇ?オレの本名、ミュダルっていうですかん?ウィンキールなんてたいそうな名前していて?』 「いやだ…、いやだ、やめてくれ、もう、いやだ!あ…あぁ…あ…っ………」  力強く黒髪がシーツを叩く。激しい拒否を示しながら、暫く悶えて喚く様を下ろしていた。唇を噛み締めて、黙る。眉間に深く皺が刻まれ、その下では固く目を瞑っている。真っ赤な手は握り込まれ、白くなって止まった。生成のリボンで豊かな髪を束ねた男は笑み、煌きながら離散した。再び羽毛や羽を散らして踊り子が現れた。力んだ顎を掬い上げる。汗ばみ皮膚の伸びた額に額を合わせた。 『噛んだらいけないヨ…?』  踊り子の声に力が抜けたらしかった。緊張と怯えを滲ませながら開目されていくのと同時に唇に指を突っ込んだ。上下の歯列に指を差し入れ、舌を奥へ押し込む。唾液が踊り子の指を滴っていく。 『…ほら、ボクを求めなキャ…ボクを求めテ…?だってあなたはそう言ってる…』  血が浮いた口腔に舌を挿し入れて掻き回した。 「…っは、ぁ……ッん、」 『もうひどいことしないヨ。もうひどいことしないシ、もうこんな痛いことさせない…ごめんネ。ごめんネ、ダントお兄さん』  黒い髪を梳きながら頬を擦り寄せ口の端にキスする。身体を拘束する糸が一瞬にして裂けた。 『だからボクを…ネ?素直になって。何も怖くないんだから』 「…ヒュインく…ん、でも……」  ダントプントの上体を起こし、抱き締める。咆哮していた虚ろな目が踊り子を捉えた。だが言葉に反してその腕は踊り子を近付けまいとしていた。 「ごめんなさい…でも、君とは…だめなんです。だめです、君と俺は…」 『うん。でもボクは偽物だヨ?』 「…赦してください…赦して…」 『何度だって赦すヨ。本当のボクだって』  踊り子は肩に顔を埋めさせた。ダントプントは涙を溢す。踊り子は固い背に腕を回して撫で回していた。か弱いながらも意思の強い腕が伸びきり、密着した身体を離させた。睫毛に涙を纏った翠が泳ぐ。何か言おうとしている唇を奪って、後頭部を支えながらベッドへ寝かせた。舌を甘噛みしながら舌を絡める。紅い瞳を細めると、翠の目は深く濁っていった。涙が一筋、火傷などは全く思わせない肌を走る。力を失って、踊り子に身を委ね、貪り食われていく。  服を脱がせ、露わになった胸の突起を舌先で突いた。反対側も指でくすぐった。 「…ぅ、あぁ…」  粘膜に押し込むと、腰が揺れる。踊り子は同じ膨らみを布を隔てたまま擦り付けた。 「あ…ッ」 『気持ちいい?ちょっと固くなってるヨ?』  口を離し、両手の親指でくりくりと揉み込むと、腰が浮き、踊り子の股の間を押し上げる。 『いつでもいっぱい、出していいんだヨ。ダントお兄さんの赤ちゃんの素なら、ボクの子なんだから』  固くなった肉粒を摘む。掠れた声を上げて踊り子の膨らみに芯を持った膨らみを突き上げる。 『ここ、苦しいカナ?』  上から退いて窮屈そうなダントプントの蛹を開ける。不本意にでも数をこなした赤黒い肉茎が踊り子を出迎えた。下生えに唇を当てる。それからまだまだ刺激を求める茎にも、果実のような先端へ向かって啄ばんだあとに口に入れた。 「あっ、…ぁあ…あ…っ!」  ダントプントは背筋を曲げた。後退ろうとする腰を掴んで、喉奥まで咥えた。頭を動かして、内膜で刺激する。 「あっ、あっ、あっぁ…ぁ、」  天を向いて、あとは迸るだけというところまで育て、口から離すと、あ…、と沈んだ声が漏れた。踊り子は糸を引く体液を舐め、張り詰めて桃色に照る頂にキスすると、その下にある窄まりに舌を伸ばした。縦に割れた蕾から水を飲むように舌でひとつひとつの皺をなぞる。中心の蕊に尖らせた舌先が触れると蠢く。 「あ…っぁんん…っぁ、」  腰を押さえるが張りのある皮膚に指を食い込ませることに躊躇いが生まれ、ダントプントの腰は逃げをうつ。蜜液を浮かべる屹立の先の窪みを舌先の裏で焦らす。 「ぁ…く、ぅん…」 『ちゃんと解すヨ。大丈夫だから。大丈夫』  虚ろな目が糸で出来た天井を見上げて、半開きの唇が何か言っているようだった。涙や唾液が汗ばみ照る肌を滴り、滑り落ちて、踊り子はとてもそれを啜りたくて仕方がなかった。

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