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夕方五時過ぎ、これからあっという間に日が落ちて帰宅ラッシュに差しかかる時間帯。
程々に混みつつある車道を進むバス。
立っている乗客は見当たらず、皆、シートで思い思いに車中の時間を過ごしていた。
「俺、あんまバス乗らねー」
最後部座席の隅っこで背もたれにだらーんともたれかかった冬森の言葉に天音も同意した。
「そうだな。俺も学校には徒歩で行けるし、図書館に行く時に使うくらいだ」
暖房の効きが弱い車内、ファーフードつきモッズコートのポケットに両手を突っ込んで寒そうにしていた冬森は、いきなり。
「あ、そだ」
ずぼっっ
ネクタイを締めて黒セーターを着込んでいた天音の制服ズボンのポケットに片手を突っ込んできた。
「こっちの方があったけー」
自分達以外誰も座っていない最後部座席。
天音のポケットで暖をとりながら冬森はネオンやヘッドライトで瞬き始めた街並みを眺めた。
くすぐったい天音はそんな冬森の横顔を眺める。
『おれのこときらい?』
あの図書館での出来事から数日が経過した平日の今日。
『天音んち行きたい』
『……今からか?』
『今から』
『今日はもう遅い、次の土曜日に来たら、』
『一時間だけ遊んだら帰る』
何をして遊ぶというのか。
でも、いい機会かもしれない。
冬森にちゃんと話してみよう。
きっと一過性に過ぎないものだから、その場限りの感情に左右されないで、先を見据えて、冷静になってほしい、と。
俺から突き放すことは無理だけど冬森が現実逃避の虚しさに気づいて自分から去るというなら、その時は、その意思を尊重しよう。
淋しいけれどそれが冬森のためだ。
仕事の都合で両親はシンガポールに長期滞在中であり、現在、天音はアパートで一人暮らし中だった。
整然と片づけられたワンルームに招かれた冬森は物珍しそうにきょろきょろ。
天音が自販機で買ったばかりのホットココアをマグカップにうつし、コタツテーブルにコトンと置けば「イタダキマス」とちょびっとずつ飲み始めた。
「あちち。まだくそあちぃ」
モッズコートを羽織ったままコタツに入り、両手でマグカップを支えてホットココアをちびちび飲む冬森の姿に、正直、天音の決心はぐらついた。
冬森、かわいい。
「あ。なに。天音、俺に見惚れてんの?」
生意気冬森のすかさずツッコミに天音はぐっと詰まった。
「あのな、冬森。話があるんだ」
天音が向かい合ってコタツに入れば冬森は。
俊敏な動きですぐ真横にやってきたかと思えば天音にぴったりくっつくようにしてコタツに再度INしてきた。
「なーに」
「これだと……話しづらい、冬森」
「なんで?」
マグカップを引き寄せた冬森は、口をつけ、上目遣いに天音を見上げて聞き返した。
何とも魅惑的構図に天音の決心はグラグラグラグラ。
いや、グラつくな。
ちゃんと冬森に話をしないと。
「冬森の気持ちは嬉しい。だけど、それは今だからこそ抱える限定的な感情のまやかしだと思う」
「?」
「次の春、冬森は中学校に上がるだろう」
「ん」
「大きな変化になると思う。興味の対象が増えて、世界が広がって、色んな可能性が手に入る」
「?」
キョトンな冬森、眼鏡をカチャリとかけ直した天音。
「俺のこと忘れると思う」
きっと淡い白日夢のように色褪せて消えていく。
ゆっくりと忘れられていく残酷さをじわじわと味わうくらいなら。
それなら、今の内に、突き放された方がいい。
まだ浅い傷で済むから。
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