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35-夏川が村雨が

「夏川君かい?」 冬休み中、生物基礎の特別授業を受けるため登校した夏川がひんやり寒い廊下で振り返れば。 「寒い中ご苦労様。生物の勉強をしているんだったね」 村雨がのほほん立っていた。 「村雨センセイ、実験室寒すぎんだけど、どーにかなんないの?」 チェック柄のマフラーをぐるぐる巻き、手袋までしているというのに、飲んでいるのは冷た~いパックのきなこ豆乳。 「とりあえず飲み物をホットに変えてみたら?」 「いーーーーッだ」 「それにしても君のことだから、てっきり、卒業後も冬森君の後をついていくのかと思っていたけれど、」 「は!? 冬森どっか行くの!?」 夏川のリアクションにのほほん笑顔がほんの一瞬だけピタリと固まった。 「ほら、もう急がないと、実験室行ってらっしゃい」 「おいこらヘボ眼鏡っ、冬森どこ行くんだよっ、教えろーーーっ」 回れ右して職員室へ去ろうとした村雨の背中に飛びつき、自分より背の高い教師を逃がすまいと羽交い締めにし、夏川はぎゃーすか喚いた。 俺、冬森は。 親のお店継ぐのかと思ってた。 ここからどこにも行かないって、思ってた……。 「冬森君は武者修行に出るんだよ」 性格は難アリながらも甘爽やかな顔立ちで見た目は決して悪くない夏川にバックハグされ、満更でもなさそうな村雨はのほほん答えた。 「む、武者修行って、森とか砂漠とか、モンスター退治とか」 「それはゲームの話だよね」 旅館で住み込みで働くそうだよ。 「りょ、りょ、旅館?」 「ほら、本当にもう行かないと」 「ふ、冬森、旅館、む、武者修行」 「うん、落ち着いて、詳細は勉強が終わったら教えてあげるから」 生徒のマル秘情報を垂れ流す宣言をした親切な村雨は動揺している夏川の頭をポンポン叩いた。 「ほら、行っておいで」 夏川は素直に別棟一階にある実験室へフラフラ向かった。 旅館って、どこの旅館だろ、どっかの温泉街とか? あれ、じゃあ、いけ好かない眼鏡やろーの天音はどーすんだろ? 二人、これからどーなるんだろ? 「そう言う君だってここを離れていくよね」 生物基礎の特別授業を終え、やたら加湿器の効いた、教師も疎らな職員室へ入室すれば村雨に言われた。 「動物と触れ合える専門学校のペット科へ、もう入学も決まって、準備学習にしっかり励んでる」 ここじゃなんだからと、村雨は冬森との性的な思い出が詰まった面接室へ……ではなく、吹き抜けの本館ロビーへ夏川を連れて行った。 「はい、どうぞ」 自販機で買ったホットの缶コーヒーを村雨に差し出されて「どーも……です」と夏川は手袋をしていない両手で受け取った。 周囲はシンとしていた。 丸テーブルとイスのセットについた二人以外、人影は見当たらなかった。 「冬森君、一先ず二年間、みっちり修行するそうだよ」 「でも、なんで旅館、冬森んちって飲食店なのに、ファミレスみたいなもんなんじゃ」 「まぁ主に会席料理を出す割烹で、ファミレスっていう雰囲気ではないかな」 「会席料理……割烹……」 「修行先も、ご両親の知り合いがされている割烹旅館だとか」 「割烹旅館って、なに、竜宮城みたいなとこ?」 「竜宮城……うーん、同じカテゴリーにはなるのかなぁ、うーん」 「冬森って板前さんになんの?」 「いやいや、板前さんにはならないと思うな。経営者として一連の仕事の流れを知る、一先ず基礎的なスキルを身につけるための二年間かなぁ、と」 えろあほだったあの冬森が。 「へぇ……そっかぁ……すごいなぁ、冬森」 村雨は眼鏡レンズの下でおもむろに瞬きした。 チェック柄のマフラーをぐるぐる巻き、缶コーヒーで暖とをりながら、夏川はふわりと笑った。 「前は、将来なんて、なーんも考えてなさそうだったのに」 冬森ぃ。 来年の今頃はお互い全っ然違う場所にいるんだね。 「ちッ」 「今、舌打ちしたのかい、夏川君」 「冬森のこと独り占めしてる天音にクソむかついた、あいつ俺のことビンタしやがったし、やっぱ好きになれない、やっぱ嫌い」 「確かにずるいねぇ、天音君」 「前は公共物だったのに、みんなの冬森だったのに」 「ほぼほぼそうだったかもね」 「最後にバイバイのせっくすさせてくんないかなー、あー、むりかー、もう前の冬森じゃないもんなー」 「何なら失恋した者同士で慰め合う?」 夏川は村雨を睨んだ。 村雨はテーブルに片頬杖を突いて、のほほん笑顔で夏川を眺めていた。 「げすげすげすげすげすげす」 「そんな何回もゲスゲス言わなくても」 「げすは地獄に落ちて閻魔様に舌引っこ抜かれろ」 「先生、嘘は言っていないよ?」 「家族にうそついてんじゃねぇか、げすきょーしが、このすっとこどっこい」 「家族、ねぇ……」 思いっきりしかめっ面になって今にも唸り出しそうな剣幕の夏川に村雨は左手をヒラヒラさせた。 以前、その薬指に光っていた指輪は見当たらず。 「理想の極みでしかなかった、あほなコの冬森君のおかげで霞んでいたけれど。君も存外あほなコだよねぇ、夏川君?」 晴れ渡った空の下、大股早足で下校していた夏川は通りがかった自販機横の空き缶入れに手つかずの缶コーヒーをブン投げ入れようとした。 でもやめた。 大好きなおばあちゃんの教え通り、ものを粗末にしちゃあだめだと、この缶コーヒーは何にも悪くないと、気を取り直してリップを開け、その場で口をつけた。 「くそにがっ」 口直しのきなこ豆乳、買って帰んなきゃ。 帰ったらポチたんミィちゃん、ヨシヨシしまくろ、スーハ―しまくろ。 冬休みで遊びたがってる、あさちゃんさくちゃん、せっかくだし一回くらい遊んであげよ。 「……あのげすきょーしぃ……」 鼻先どころか耳たぶ一片までまっかになっていた夏川は苦心して飲み干したブラックコーヒーの空き缶をメキメキ握り潰した。 『先生とセックスしようよ?』 あーーーー、やだやだやだやだやだ。 離婚しよーがするまいが、げす、アイツはげすげすげすげすの極み。 「誰がおっさんなんか相手してやるか」 もうすぐ終わる冬休み。 高校生最後の日々もじきにフィナーレを迎える。 心乱された夏川のお胸は凍てつく風によってさらにぐちゃぐちゃに掻き回されゆく……。

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