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最終話
「いらっしゃいませ、本日、ご予約はされていましたか?」
「はい、天音と言います」
「天音様、一名様と、とびきりさいこーな連れの俺、一階の個室にご案内致します」
「よろしくお願いします、冬森」
二十歳になって初めて迎えた春。
冬森家が経営する和食料理店「ふゆのもり」に天音がやってきた。
「離れでもよかったのによ、あっちの方が広いし豪華だし」
「前に通された部屋がよかったんだ」
「お。お客様、つばきの間がお気に入りですか、お目が高い、さすが本好き」
「何だかバカにされてるみたいだ」
平日の夜七時。
カウンター席は程々に埋まっており、春休みシーズンであるためか、長い板張りの廊下を進んでいると他の個室からこどものはしゃぐ声が度々聞こえてきた。
「どーぞ」
先導していた私服姿の冬森は格子戸を開いて四名席個室の「つばきの間」に天音を通した。
本日はオフの日。
先日、長期研修なる武者修行を終えて帰ってきたばかりの冬森は、ご褒美に数日間の休暇をもらい、早速天音をお招きして成人式ぶりの再会を果たした。
「おら、お酌してやるよ、お客様」
「ありがとう」
「次は何飲む、焼酎か日本酒かワインか」
「梅酒を飲んでみたい」
「梅酒もいろいろあんだよ、お客様、梅本来の酸っぱさ重視か、甘めか、にごりか」
「おすすめをお願いします」
「畏まりましたー」
天音と初晩酌。
なんだかんだ、俺らもオトナんなったな。
「鮮度の極み、ブリの肝だぞ、すだちかけてやっから」
「ありがとう、不思議な味がする」
「ばっか、酒飲みには必需品の珍味だぞ」
「……冬森、一体いつからお酒を飲んでいるんだ」
「白子の天ぷらも熱い内いっとけ」
前回は冬森の父親が接客してくれたが、社長が店に顔を出すことはそもそも稀で、今日は従業員が料理やお酒を運んできてくれた。
琥珀色に透き通ったお湯割りの梅酒。
ざらついた手触りの陶器製カップに両手の五指を添え、天音はゆっくり味見している。
向かい側で頬杖を突いた冬森はお揃いの梅酒、ただしロックのグラスを片手に堂々と見惚れていた。
「ど? うまい?」
「甘くて飲みやすい」
梅酒飲んでる天音、えっろ。
「どこがどういう風にえろいんだ」
「あ、今、声に出してたか?」
「何だか酔いそうだ」
「いーんじゃね? 手厚く介抱してやっから。俺に任せなさい」
「そうなる前に渡しておく」
注文していた一品料理やお酒がテーブル上に揃ったところで、天音は、トートバッグから一冊の本を取り出した。
「冬森に読んでほしい」
「マンガ?」
「漫画じゃない」
受け取った冬森はページをぺらぺら捲ってみた、が、文字の羅列にやっぱり拒否反応を起こし、すぐさまパタンと閉じた。
「なんだこれ、有名なやつ? 最近売れたベストセラーか何かか?」
「俺が書いた小説だ」
冬森はキョトンした。
「一冊だけ、印刷会社に頼んで本にしてもらった」
「そんなことできんのか」
「できる」
「へ~~~」
「冬森に読んでもらいたくて」
「ん」
「今の様子を見ると相当苦になりそうだが」
「あ? お前の本なら苦になんねぇよ。むしろ興味津々だし。楽しみにしてたし。待ち構えてたし」
書店で普通に売られていそうな文庫本サイズ。
自分の本を手にした冬森に天音は微笑みかけた。
「何年かかってもいいから、いつか読み終わったら、感想を聞かせてほしい」
あー。
やっぱ天音はきれいだな。
天音が書いた本かー。
高校ン頃、隣の席でずーーーっと本読んでたよな。
夜中に時々ベッド抜け出してカチャカチャしてたよな。
一冊だけ作ったってことは、世界に一冊しかねぇわけだよな、トーゼン。
あれ。
なんか。
やべぇな。
「冬森」
シンプルな表紙にぼたりとよだれ……ではなく、冬森は涙を落っことした。
「あ、やべ、汚れる」
「そのままでいいよ」
「天音、ありがとな」
「冬森こそ俺に夢を与えてくれてありがとう」
「っ……んな……大層なこと、してねぇよ……っ」
あっという間に両頬をびしょ濡れにした冬森は項垂れた。
世界に一冊だけの本をぎゅっと抱きしめた。
「次に書いた話は出版社の新人賞に応募して、結果を待っている最中だ」
肩を震わせて嗚咽を堪えている冬森の頭を撫で、撫でるだけじゃあ想いはおさまらず、隣に移動した天音は褐色彼氏の肩をいとおしげに抱いた。
「その物語は冬森だけのものだから」
俺、お前のこと好きになって幸せだ、天音。
「俺の奢りでよかったのによ」
「前回もご馳走してもらったし、今日は俺が支払うと決めていた」
「あーあ。これだから真面目な天音サンは。つぅか何のバイトしてんだ?」
「個人のギャラリー兼喫茶店で接客している」
「はああああ?」
「……何だかすまない」
「どこだよ、行ってやるよ、どんな格好してやってんだよ、おい」
次の日もお休みになっている冬森は食事を終えると天音のアパートへ一緒に向かった。
「うはぁ、満開だな」
道中、公園や道端に佇む夜桜に惚れ惚れするフリをして。
「去年の桜より綺麗に見える」
ヒラヒラと緩やかに舞う花弁を目で追う天音に惚れ惚れした。
「へぇ? なんでだろーな? 空気が澄んでんのかな? あ、お前視力上がったんじゃねーの? 実はもう眼鏡いらずなんじゃね? 裸眼いけんじゃね?」
「危ない、指が目に入りそうだ、冬森」
少々酔っ払って、いつになくはしゃいで、眼鏡を外そうとしてくる上機嫌な冬森に天音は想う。
君を愛することができて俺は幸せだ、冬森。
end
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