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第2話

 今日も外は雪が舞っていた。  店から見える湖に浮かぶボートが白く染まっている。夜半からずっと降っていたに違いない。  僕は店の外に「温かい自家焙煎珈琲あります」という看板と、今日のお勧めケーキを書いた看板を出した。外は身を切る様な寒さだ。急いで店の扉を閉め、ブルッと身を震わせた。 「あぁ、寒っ! これだけ寒いとお客さんの数、減りそうだなぁ」  湖の周りは別荘地だ。夏の避暑地として有名なここは冬場、閑散としている感が強い。雪が降る日は外を出歩く人も少なく、ケーキの売れ行きは落ちてしまう。  とはいえ、近くのホテルやレストランから受けた注文があるから売上が大幅に落ちて困る事は無い。嬉しい事に、味やデザインを評価してくれるお得意様が結構居るのだ。  僕は自分の店を朝七時から開け、販売するケーキを作りながらお客さんを迎えている。  朝、ホテルやレストランへデザートを配達する人達に珈琲を振る舞ったのが最初だった。僕のお気に入り珈琲と、オーブンを温める為に試作したケーキが思った以上に喜ばれた。  朝早くても誰かに喜んで貰えるかもしれない。そう思って店を開けてみると、湖畔を散歩する人達が店を覗き、一息吐く場所として使ってくれる様になった。  それからずっと朝七時がオープン時間になった。店頭にケーキが揃うのは午前十時過ぎ。ケーキを作りながら接客するのは大変だけど、美味しい、と喜んでくれる笑顔に会えるのが嬉しかった。  だから寒い今日も七時になった今、店を開けた。焼き上げたばかりのシフォンケーキを店頭に飾り、珈琲豆の焙煎を始める。甘いケーキに合う様、深入りにして細挽きにするのが特徴だ。  ホテルやレストランの配達員は大体、いつも同じ時間にデザートを取りに来る。  準備していたデザートを渡すと同時に珈琲を勧め、そして新作ケーキのパンフレットを渡す。 「いつもご苦労様です」 「いやいや、こっちこそいつも悪いね。こんな寒い日は熱い珈琲と美味いシフォンケーキが胃に沁みるよ」 「あの、悪いんですけどパンフレット……」 「あぁ、オーナーに渡しておくよ。ここのケーキは美味いって評判だ。パンフレットをレストランに置くくらい、何でもないさ」 「ありがとうございます」 「じゃ、また明日な」  白い息を吐きながらトラックに乗り込む配達員を見送って店に戻る。それを何回か繰り返せば、朝の納品は終わりだ。  夕方の納品分と、店頭に並べるケーキの仕上げを……、と店の奥へ戻った時だった。  店の入口に提げている火箸風鈴が澄んだ鉄の音で来客を告げた。慌てて店の表に向かい、笑顔で客を出迎える。 「いらっしゃいませ」 「……珈琲がある、と書いているが、開店しているのか?」 「はい。そちらのカフェスペースで珈琲と日替わりシフォンケーキは如何ですか?」 「あぁ、頼む」 「かしこまりました」  入って来た客は正直、ケーキ屋に似つかわしくないスーツ姿の男性だった。  渋く響く低い声が耳に心地良い。細い眼鏡に飾られた鋭い光を宿す目が印象的で、近付き難い雰囲気を醸し出している。だが、女性の目を惹く男性に間違い無い。 (格好良いけど……珍しいお客さんだ)  雪の中、観光客にも見えない男性一人の客は珍しい。それも早朝、スーツ姿とはどんな事情のある人だろう。  湖が見える隅の席に座る背中を見詰めながら熱い珈琲とシフォンケーキを運んだ。 「お待たせしました。今日はメープルシュガーをたっぷり使ったシフォンケーキです」 「あぁ」 「珈琲のお替りは遠慮無く仰ってくださいね。ごゆっくりどうぞ」  何も持たずに店に入って来た男性はじっと湖を見詰めていた。何か考え事をしている様だった。  珈琲とケーキを出して男のテーブルから去ろうとした時、男の首筋に目が止まった。 (左耳の少し下、首筋にある正三角形に並んだ三つのホクロ! ……細い眼鏡……、あの声……もしかして)  後姿をじっと見詰めていると古い記憶が甦ってきた。あのホクロ、確かに見覚えがあった。あんな珍しいホクロを持つ人はそうそう居ない。男性を良く観察してみれば、同い年に見えなくも無い。 第一印象だってあの頃と全く同じと言って良い。 「あの……渡辺……渡辺龍星君?」 「何?」  恐る恐る同級生の名前を口に出してみた。呼び掛けるというより、何かを確認する様な呟きに似た問い掛けだったと思う。  カップを手にしていた男性は驚いた様子で振り返り、いぶかしむ様な顔で僕の顔を見た。 「あの、覚えてないかな? 高校二年の時に同じクラスだった『遠野 真』です。洋菓子店の息子の遠野。渡辺君は九月に僕のクラスに来て、二月に転校していってしまったから余り覚えていないかも……」 「遠野……。あぁ、ハムスターみたいな奴って言われていた遠野か」 「ハ、ハムスターって! 久し振りに言われたよ!」 「よく女子にケーキやクッキーを作って来いと言われていたな。ケーキ屋をやっていたのか」 「うん。夢だった自分の店を持って三年になるよ」 「そうか。俺は……警視庁で刑事をやっている」 「刑事さん! 格好良いなぁ。凄いね」  半年程度しか同じクラスに居なかった渡辺君は、あの当時の印象そのままだった。  僕は向かい側の席に座って渡辺君の顔を改めて見た。面影はある。細い眼鏡が似合う、少し怖い印象の陰ある顔だ。 「変わってないね、渡辺君」 「……お前もハムスターらしさに磨きが掛かっているな。菓子が似合う、人畜無害そうな顔はそのままだ」 「酷いよ、渡辺君!」 「悪い。冗談だ」  もう十年以上会っていないし、仲が良かった訳でもないのに再会した今、簡単に同級生の顔に戻れるのは不思議だった。  短い付き合いだった同級生との偶然の再会。  そしてそんな彼に自分が焼いたケーキを食べて貰える喜び。 「珈琲もケーキも美味いな」 「渡辺君にそう言って貰えると自信が持てるよ」  寒い朝の小さな偶然に心が温まる。  見た目が怖い同級生はお世辞が上手ではない。言っている言葉は本心に違いない。そう思えるから余計に嬉しかった。 「ところで、どうして渡辺君はここに? 警視庁って……東京だよね?」 「あぁ、先日から捜査の関係でこっちに出張して来ている」 「ふぅ~ん。長く居るの?」 「あぁ。近くのホテルに暫く滞在予定だ」 「そうなんだ。良かったらいつでもどうぞ。ケーキは勿論だけど、何でも良かったら軽食くらい珈琲と一緒に作るから」 「そうか。じゃぁ、また邪魔させて貰う」  もっと話していたかったが、別の客が来てしまった。お得意さんである近所の老夫婦だった。 「おはようございます。いつものセットで良いですね?」 「えぇ、お願いしますわ」  笑顔の遣り取りを交わしてから準備に取り掛かる。 (渡辺君だ……)  その後も接客やケーキの準備をしながら懐かしい同級生の背中をチラリ、チラリと見ていた。何故か僕の心は浮き立っていた。  渡辺君は一時間ほど店内で過ごし、何も買わずに出て行った。出て行く時にチラリと視線で挨拶をして来たのが彼らしかった。 (明日も来るよね?)  雪の舞う中、去って行く背中に向かって僕は無意識にそう呟いていた。

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