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第3話

 翌日も雪は降り続いていた。直ぐに溶けてしまう雪で、薄っすらとしか積もらない雪だったが見ているだけで寒々しい。 「……今朝も来るかな?」  店の外に看板を出しながら通りを見てみる。右、左、と視線を向けるが人影は無い。 「きっと来るよね」  そう呟いてから店に戻った。  いつもの様に配達員達を向かえ、販売用のケーキを作る。その間も時計が気になって仕方が無かった。 (八時までに……きっと来るよ)  憧れの人を待つ女子高生の気分だった。  昨日まで忘れていた高校時代の思い出が不思議なくらい次々と甦ってくる。  渡辺君が転校して来て直ぐに開かれた水泳大会やスポーツ大会。秋にあった文化祭。そして冬の合唱・演奏会。 「……自分から何も言わなかったけど、渡辺君は結構、なんでもできたんだよね」  水泳はバタフライの競争で渡辺君がトップだったし、スポーツ大会のソフトボールでは肩を痛めたピッチャーに代わって急遽、渡辺君が投げる事になり、決勝まで行った。合唱では低いテノールの声が耳に心地良かったし、何よりもあの二月の出来事は今でもはっきり覚えている。 「憧れ……だったんだよね。渡辺君って」  小柄で背が低く、人畜無害のハムスターというあだ名を付けられていた僕とは全然違う、誰もが描く理想の男性像そのままと思える渡辺君は僕の憧れだった。  そんな彼と自分の店で再会できるなんて夢の様だ。いつも以上にケーキ作りに力が入った。 「あ、いらっしゃいませ」 「今日も寒いな」  ロールケーキを店頭に並べていた時、鉄製の火箸風鈴が鳴った。澄んだ音が店内に響くと同時、低い渡辺君の声が聞こえた。 「どうぞ、座って。珈琲と一緒に簡単な朝食を出すよ」 「……悪い」  今日の渡辺君は小さな鞄を持っていた。  昨日と同じ席に座り、鞄から取り出した新聞を読み始めた。椅子を後ろに引き、湖に向かって斜めの姿勢で肢を組む姿は仕事が出来る男のイメージにピッタリだった。 「……格好良いなぁ」  僕が同じ姿勢を取ってもあんな風に格好良く見える訳が無い。後ろ姿に惚れ惚れしながら珈琲豆の焙煎を始め、ホットサンドイッチ作りに取り掛かる。確か、渡辺君は昨日、ブラックで飲んでいたと思う。ミルクと砂糖は不要だ。 (そうだ! あの新作を食べて貰おう!)  デザートを何にしよう、と考えていた時、近々発売予定の新作ケーキを思い出した。試行錯誤の末に完成したケーキが冷蔵庫に入っている。 「お待たせしました」 「あぁ」  珈琲とホットサンドイッチをテーブルに並べて向かい側の席に座る。自分用のマグカップを手に持ちながら手作りの朝食を食べてくれる姿を見詰めるのは幸せだった。 「渡辺君って何でもできちゃったよね」 「……そうだったか?」 「うん。半年くらいしか居なかったけど、泳ぐのも早かったし、ソフトボール大会のピッチャーも凄かった。歌う声も素敵だったし、成績も良かったよね。何でもできるのに偉そうにしないし、寡黙で出来る男っていうのがピッタリだった」 「……褒め過ぎだろう?」 「今もそのままだなぁって思うよ」 「……そうか?」 「うん。凄く魅力的な男性だと思う」 「……そうか」 「うん」  自分が作った料理で持て成し、高校時代の思い出話を交わす時間は何とも楽しく貴重だった。  外では雪が強く降り始めていた。この分だと客足は遠退くだろう。お蔭で今朝は昨日よりもゆっくりと話ができそうだ。  ホットサンドイッチを渡辺君が食べ終えた頃合を見計らってデザートを出した。 「これ、バレンタイン限定商品として出すチョコレートケーキなんだけど、食べて貰え無いかな?」 「新作か?」 「うん。両手で包む様にして持って渡す事ができる、小さめのサイズにしたんだ」  ケーキ自体は手の平に乗るサイズだ。ココアのスポンジケーキの中にビターチョコレートの板を挟んでいて、外側は甘さ控えめのチョコレートでコーティングしている。そしてホワイトチョコレートで作ったハートとカギを飾りとして乗せてあった。 「『大切な貴方に私のハートと心のカギをあげます』そんなイメージかな。大好きな人に心まで食べて欲しい。口では言えないそんな想いをこれで伝えて欲しいな、と思って作ったんだ」  言っていて恥ずかしいが、そんな想いを込めた販売期間限定の一品だ。 「……メッセージだけでも売れそうだな。味もいい。見た目は甘そうだが男でも食べ易い。良いと思う」 「本当? ありがとう!」  渡辺君のコメントは「美味しい」だけに留まらない。あの時と同じ、ちゃんと為になる言葉をくれた。 (やっぱり、素敵だよね。渡辺君って)  心にジンと響く物があった。  珈琲を飲みながら一口ずつ綺麗に食べてくれる姿を見詰めていると、頬が熱くなってくる。 (僕が作ったハートを……食べてくれてる)  今は二人っきりだ。ミステリアスな憧れの渡辺君が、目の前でバレンタインデーに贈る手作りケーキを食べている。 「あの……渡辺君?」 「なんだ?」 「もし、もし、だよ?」 「あぁ」 「もし、僕が……このケーキを渡辺君に贈りたいって言ったらどう?」  頭の芯がボゥッと熱くなっていた。熱に浮かれた様な感じだ。勢いで言った後で自分が何を告白したのか驚いてしまった。 「…………」  僕の言葉を聞いた渡辺君は暫く無言だった。  ケーキを食べ終え、最後にハートとカギの形のチョコレートの板を見詰めた後で低い声で答えてくれた。 「このハートと心のカギが遠野の物で、俺にくれる、という事か?」 「う、うん。そうだって言ったら……?」 「……」  渡辺君の探る様な視線が痛かった。  真正面からじっと見詰めて来る目には嘘を見破る力があった。そもそも、端整な顔で見詰められて嘘を吐ける人が居るだろうか。心の中に秘めた事まで全て吐露させてしまう力を持った蠱惑的な視線だった。 「駄目、かな……?」 「くれる物なら貰っておこう。可愛いハムスターを泣かせる訳にはいかないからな」  フッと笑いながら渡辺君はハートとカギの形のチョコレートを食べた。 「ほ、本当?」 「突然の告白には驚いたが……」 「ご、ごめんなさい」  渡辺君は珈琲を飲み干すとテーブルに出してあった新聞を鞄に納めた。 「珈琲もサンドイッチもホテルの朝食よりずっと美味かった。甘いデザートと言葉も貰えたしな」  立ち上がった渡辺君が近付いて来た。そして僕の頬に口付けをした。 「ご馳走様、真。また明日、邪魔する」 「う、うん!」  流れる様な動きだった。そうするのが当然という様な動きで渡辺君はテーブルから離れ、店の外へ出て行った。 「……キス……。それに『真』って呼び捨てだった……」  自分が告白したのも驚きで、意外にあっさり受け入れられたのも驚きだ。更に、告白を受け入れてくれた後のキスも衝撃的だった。 「渡辺君って……慣れてる?」  同級生から恋人に一気に距離が近付いた朝、頬と頭の芯はいつまでも熱いままだった。

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