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1-3 髭をそる
***
「薪は売ったし、市場で食料を買うか」
俺はカミュに書いてもらったメモのとおりに、食材を買っていく。
牛乳にチーズ、バター、牛肉、ベーコン、バゲット、ブロッコリー、セロリ、インゲンマメ、レンコン、レタス、コーン、ピクルスなどなど。じゃがいもやにんじんなどの根菜は家で育てているし、貯蓄もあるから買わなくていいだろう。
「おう。今日は一人かい?アレン」
知った顔に話しかけられる。八百屋の若旦那だ。若旦那とは言うが、見た目恰幅のいいおやじだ。なんで俺を一人と思ったのか、と考えたが、買い物は大体カミュの仕事だからだろうか?
「ああ」
「カミュ君は?」
図書館のときと同じく、カミュのことを聞かれる。しかも、俺のことは呼び捨てなのに、カミュのことは皆カミュ君と呼ぶのだ。
「まあ、ちょっと……」
「ちょっと?」
若旦那は不審そうに俺を見つめた。朝のことを説明するのは手間だが、
「怪我をしたんで、家で休ませてる」
「おう。大丈夫かい?薬を買っていくか?」角の薬屋に目をやる店主に
「いや。うちに薬あるから大丈夫」と断りを入れて、野菜を詰めてもらった紙袋に手を伸ばす。
「そうかいそうかい。しかし、お前さんが買い物とは新鮮だなあ」
とまじまじと見てくるので、俺がこの場にいるのは不自然なんだろうか、と勘繰ってしまった。
カミュはこいつといつもどんなやり取りをしているのだろう。面倒くさそうだな。
「そういえばさ」
おやじが話を切り出してくる。
「先月、はす向かいに床屋が出来たんだ。知ってたか?カミュ君なら知ってると思うけどな」
ほう。俺は後ろを振り返った。毎度の買い出しでこの八百屋に通うカミュなら、床屋の出店は知っているかもしれない。しかし、カミュは図書館の近くにある婦人向けの小洒落た美容室で髪を切るので、用はないはずだ。
「それがどうかしたのか?」
「どうって!」八百屋のおやじは驚いて言う。
「あれには行きつけの店がある」
あの柔い髪質に女にも見えなくない容姿で、不器用そうな男どもが通うような、そういう固定観念を植え付けられている俺にとってはそのような場所である、床屋に店を変えるわけがない。
「あんさんがよ!!」
「え?」親しくもない親父に掌でどつかれて、俺は困惑する。
「だーかーらー。カミュ君に言われなかったのかい?むさ苦しいその髭。自分で剃れないなら、床屋行って剃ってもらいなよ」察しが悪いとばかりに、親父は横目で笑う。
すると、店の奥から辛子色の前掛けをした小太りで大柄な体躯の女が出てきた。
「あんたぁ、なに油売ってるの?」
「あら~カミュ君とこの……」
おやじの妻だ。若旦那は婿養子なので、彼女が店の実権を握っていると、カミュから聞いたことがある。俺を見て、だみ声から急に猫なで声になる。
「床屋の話してたんだよ」
「ああ、床屋の……そうなの。ちょうど、開店記念に無料チケットを貰ってね。うちの旦那はつるっぱげだから、床屋で髪を整える必要もないでしょ。良かったら要らない?さっぱりするわよ?」
「つるっぱげって……」
おやじが顔面蒼白になりショックを受けている中、強気な女主人に平然と水色のチケットをちらつかされて、俺は迷った。
カミュは俺の髭を気に入ってくれている。抱き合って、前戯のキスをしているとき、あいつが必ずいじってくる髭と胸毛。どちらも好きと言ってくれる。よりよりして縮らせては、それを引っ張って、俺が少し痛がるのを見ては嬉しそうにする。それを喜ぶ俺も少なからず被虐的だ。髭と髪はカミュが月に一度伸びた分だけカットしてくれる。彼の好みの長さなのだろう。
俺がどうしようか逡巡していると、
「いやね、カミュ君とあなたって、なんていうか……似てないでしょ?家族に見えないというか。カミュ君はそりゃすごく可愛くて、この小さな村でも人気があるのは、知ってるわよね。そのお兄さんが髭もじゃじゃ世間的に見て、どうなのかと思って」
「お前、そりゃ、言いすぎだろ」
と、親父が口を挟むが、女主人は言いたいことは言い切ったようだ。つまり、彼女には俺が不審者に見えて、周囲にカミュをかどわかしたかのような疑いを掛けられないがためのお節介というわけだ。そこまでは言ってないかもしれないが……
余計なお世話だ。
とはいうものの、こんな話を店先でしているから、通行人の目が俺に注がれて、立ち止まって見上げてくるものもいた。確かにこの巨躯が店先で立ち往生して、買い物するでなし、店主と話し込んでいたら嫌でも気になるというものだ。
それに、カミュは二月に一遍は美容院に行くくせに、俺は2年近く店で髪を切っていない。
2年以上前の記憶がない自分にとっては、顔下半分を思い出すのも難儀になってきているし、飲食の際に髭を汚すのも気にしていたことではあった。カミュはビーフシチューの味がするとか言って髭を啜っていたが、ドン引きするような嗜好である。
「……剃ってみようかな。貰うよ」
言うが早いか女主人の手から水色のチケットをすっと抜き取った。
「そう。良かった。荷物は預かっててあげるから、今から行ってきなさいな」
女主人は安心したように笑う。直球過ぎるが憎めない人柄だ。
おやじの方はひやひやしていたみたいだが、その対照を見て俺は苦笑する。
「ああ、ありがとう」
買い物袋を一旦八百屋に預けて、踵を返すと床屋へ向かった。
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