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3-1 魔術師の卵

***  相方と濃密に交わった日から二日経つが、俺はいつものように木こりの仕事をしていた。  山一つ、村に住む地主から借りて、林業を営むことにしたのは、2年前にカミュとともに海を渡ってこの大陸にやって来た時だった。  俺は降り立った港近辺で漁師をするのもいいと思ったが、カミュは静かで空気の綺麗なところがいいと嫌がった。たしかに、浜は潮の臭いがきつく、時に海獣の死骸が流れついたりして腐敗臭を放っていたこともあった。それに、夏は日差しも強いのでカミュのような白き柔肌はすぐにゆでだこのように真っ赤になってしまったに違いなく、環境がいいとはいえなかった。  村に住むことも考えたが、ギルドに入ったとしても土木業などの臨時の仕事しか得られないだろうとカミュに言われ、定職に就くべくして選んだのが木こりだった。  山の使用収益権を得て、静かな森の中で黙然と木を切る仕事は、体力仕事ではあったが俺に向いていると思った。木を倒すために同じところに何度も斧を当てるのは集中力と根気が必要だったが、三か月もすれば慣れてくる。薪割自体は、俺のような筋肉の鎧を着た大男には朝飯前の仕事だった。  だが、力さえあれば軽い仕事と侮ってはいけない。出来れば出来るほど、期待値が上がる。仕事が増えるのだ。そもそも薪の値段は高くないわけで、腕力があれば体力が尽きるまで、薪割をしなければならない。そして、それを建築用に大きく切り出した材木などとともに荷車に乗せて、村へと曳いていくのは結構な労力が要った。汗水流しても、二束三文のときもあった。それでも、稼ぎ頭は俺だけだし、カミュは雀の涙のような稼ぎに文句も言わずについて来てくれるので、俺は頑張るしかなかった。  今はまだ暑い夏だが、冬にもなれば村や町の人々が暖を取るために薪の需要が増える。そうすれば、値が上がって少しは生活が楽になるだろうか。いや、作物の育たない冬は他の物価も上昇するので、やはりいつまでも真綿で首を絞められるような苦しい生活が続くのだろうか。  難しいことを考えたくない、俺は無心を装って、切り出した巨大な丸太を背負っていた。  体が大きいのは得だ。俺は丸太を小分けに切り出さず、また馬などの他の動力に頼ることもなく、小屋まで運ぶことが出来る。一つの大きな丸太は、教会や集会所の土台や橋脚として高く売買されるため、細切れの薪を売りに行くより、それ一つを村に持って行った方が良い収入となる。さらに大きな木を切り出すことも俺には可能だが、村まで運ぶには痩せ馬一頭では無理だろう。馬を増やすには金が要るし、また、大木を効率よく切り倒せる斧など道具を拵えるのにも金が要る。早く生活が楽にならないものか、カミュにも苦労をさせたくない。  だが、一昨日とあるクエストを請け負っている最中いい話を聞いた。今度の日曜日、ちょうど俺たちが買い出しに行くときに、村で祭りが行われるが、その催しで力比べの競技があるという。内容は当日知らされるというが、一昨年はウェイトリフティングで、昨年は腕相撲だったという。毎年種目は変わるが、当日参加も可能で優勝すれば賞金も出る。その上、ローカルイベントの癖に城下町の連中も挑戦しにくるくらい注目されていて、これがきっかけで城の衛兵にスカウトされた人もいたという。俺の力が認められれば、ひょっとしたら……。目に留まらなくても、賞金だけでも貰いたい。そのためには、もっと体を鍛えなければ。  俺が丸太を担いで、ひーふー言いながら小屋に着くと、カミュが紺色のローブというよそ行きの出で立ちでドアから出てくるのが見えた。 「ん?」 「あ、アレン。おかえり」 「出かけるのか?」 「うん。村まで」 「俺は?」汗だくのシャツを脱ぎ捨てて、勢いよく絞る。滝のように汗が滴り落ちた。 「ん……お留守番……だね」 カミュは決まり悪そうに言った。 「え」  今までそんなこと言われたこともなかった。村に行くのはいつも一緒だ、一昨日以外は。 「えとね。魔法学校図書館から取り寄せてた魔術書が届いたって連絡がきたんだ。貴重な資料で早く読みたいから、今日取りに行きたいんだ……」カミュは、やや緊張した面持ちで言う。 「連絡って?」この小屋に村からの連絡手段などない。郵便配達もきたことはないし、周囲を見渡しても足跡などなく、村人が来た気配もない。伝書バトでも飛んできたのだろうか? 「アレンには話したことなかったけど、これ」と言って、相方は銅貨ほどの小ぶりで平板なガラスの石を見せた。黄色く明滅している。 「何これ?」俺は目を丸くして、そいつに見入る。 「シグナル・ストーン。連絡手段さ。頼んでおいたものが届いたときに知らせてくれるよう、レイナさんにお願いしてたんだ」 「これは村にいるやつと話せるのか?」黄色い石を触りながら俺は訊ねた。 「話したりとかメッセージを送ったりとか複雑なことはできないよ。そのうち改良したいけどね。ただ合図を決めて、条件を満たしたときに信号を受信するだけ」  信号だの、受信だの、条件だの、言ってることが意味不明だ。俺は茫然と口を開けていた。 「さっき届いたみたいで、これから行くんだ。だから、帰りがちょっと遅くなっちゃうかも」  そのことについてはすまなそうにカミュは言う。 「俺もいっしょに行く」  もう午後3時過ぎである。これから行って、本を受け取るだけにしても、帰りは5時ごろになりそうだ。時間が遅いとか考慮しなくても、小屋と村の距離は荷馬車で片道2時間、騎馬だと1時間弱とかなりかかるし、この近辺は魔物がほとんど出現しない地域ではあるが、絶対出ないとは言い切れない。カミュの身が心配だった俺は、脱いだシャツの代わりに着替えを取りに家に入ろうとする。 「大丈夫だよ。僕、馬に移動結界を張っていくし、この辺りで僕の結界を破れるような強い魔物がいないのは折り紙付きだから」 「結界?」また、わからない言葉を……。 「うん。用事がすんだらすぐ戻るから、心配しないで。僕は君のものだから」  カミュはにっこりと笑って、俺に近づくと、頬にすっと柔らかい接吻をした。  俺が戸惑っているうちに、鞍を馬に取り付けて飛び乗ると、さっさと山を下って行ってしまった。 ——俺のもの……。

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