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3-2 肉体派罠師
***
カミュが一人で出発して、俺は小さくなっていく後ろ姿を見ながらしばらく茫然と立ち尽くしていた。気が付けば視界から彼の姿は消えており、俺はふらつきながら家に戻った。机の上には、さっきカミュが説明したことと同じ内容の置手紙があった。
——俺が家に戻ってこなかったら、手紙だけ残して村に行こうとしていたのか……。
頭の中のもやもやが整理できず、俺は長い溜息をついた。意趣返しだろうか?そりゃ、一昨日は俺が一人で初めて村に行ったが、それはあいつが勝手に怪我をして村に行ける状態じゃなかったからだ。魔法学校から取り寄せた大事な資料をすぐに読みたいからとはいえ、カミュの独断的な行動には、何らかの意図を感じずにはおれなかった。
自分が味わった不安を俺にも味わせようとしているのか。でも、カミュの俺に対する不安ってなんだ?はじめてのおつかいではあったが、大の大人が村に買い出しに行くだけのことに、どうしてそんなに不安を覚える?
『余計なことをやってるんじゃないかってね』彼はそう言った。
“余計なこと”?余計なことってなんだ?用事以外のことで油を売るってこと?ギルドに登録したことも余計なことに該当するのだろうか?カミュの秘密を探ろうとしたとか?やつの秘密ってなんだ?俺が真昼間から娼館に行くはずもないし、することは限られている。
そうか……。俺はふと気づいた。
夜だったら、そういういかがわしいところに行くかもしれない。カミュと出会った2年前から、俺は一度だって女を買ったことはないが、過去はそういう男だったのかもしれない。カミュは俺が帰ってこないことを心配したのだろうか?門限が3時だったのもそのためか?
思えば、村で年頃の女を見たとき、僅かにだが劣情が湧く。俺が騎乗位の下にくるのが好きなことはもう存じているだろうが、被虐的な妄想というものが不意に脳裏をかすめることがあるのだ。それが本能だとしたら、俺は間違いなく今までは異性愛者だったのだろうし、カミュが不安になる気持ちもわからなくもない。そうなると、カミュは以前の俺を知っていたことになる。
訊いてみるか?俺がどんな性癖の男だったか?
いや、こんなこと恥ずかしくて聞けない。
それにカミュの“余計なこと”とは全く見当違いな質問かもしれないし、余計な不安を増やすだけだろう。愛する者に対して失礼な話だ。
たとえ、俺が異性愛者だとしても(ただ一つ、確かに言えることは、俺はカミュ以外の男に対して性欲が一切わかない)、僅かなり女に劣情を抱くダメな男だとしても、カミュという相手がいる以上、他の女を視姦することは罪深いことだ。俺は首を振った。
「考えるのはやめだ。夕飯の準備をしよう」
独り言だったが俺は声に出すことで、思考を強制的に停止させた。
***
市場で買ってきた生の牛肉は、夏の暑さで日持ちしないので、少量しか買わないしすぐに消費した。だが、今日も何か精のつくものが食べたい。考えすぎは体に毒だ。体を動かすにはやはり動物性のものを食べた方がいい。干し肉はあるが、新鮮な肉が食べたい。
そう思い、昨夕から仕掛けておいたイノシシ罠に獲物がかかっていないか見に行くことにした。イノシシを生身の体で仕留めたこともあるが、念のためこん棒を装備する。
鍋なら俺でも作れる。今夜はイノシシ鍋だ。
山には俺とカミュの二人しか住んでいないので、村へ行く通路と俺が木の切り出しに行くルート以外はほぼ獣道である。そして、普段の探索でイノシシの糞をチェックしているので、夜行性のあいつらが夜中にどこを通っているのかを大体把握している。その通り道に俺は落とし穴を3か所掘っていた。生け捕りにするため穴は深く掘ってあるだけで、底に鋭利にとがらせた枝を剣山のように突き刺しておくなどの残虐なことはしない。3つ穴を掘っているので、複数の穴にかかる可能性もある。二人で食べきれない分は燻製にして保存食にしたり、村に売りにいったりすることもあるが、子連れのイノシシなどの場合は穴から引きずり出して逃がしてやることもある。だから、獲物は傷つけないよう捕獲する必要があった。
かかってないか…今日は……。
俺は罠の上に敷いた枯れ枝や草を持ち上げて、穴をのぞく。声が反響し、深い穴の底に何もいないのがわかる。最後の一つの穴の前まで来たとき、小さな唸り声が聞こえた。
「おっビンゴ」
穴に何かが落ちたため、枯れ枝などはかかっておらず、俺は上から覗くことが出来た。しかし、暗くてよく見えない。ポケットからマッチ箱を取り出し、慣れた手つきで着火すると、穴の底に小さな影が見えた。獲物は小柄で荒い息を吐いている。と、その時背後から地面を蹴り上げて猛進してくる音が聞こえて、俺の尻に体当たりされた。俺は前のめりになって穴の中に落ちる。穴は2メートル近くあるが、頭から落ちてしまった。
穴の壁に手を摩擦させながら落ちたため、衝撃を和らげることが出来たが、手のひらや肘は皮膚が破れ出血してしまった。穴の底には、イノシシの子供がいた。やつもまた無傷のようで、落ちてきた巨体にビビッて鼻息を荒くして縮こまっていた。
親子か。仕方ねえなあ。
俺は、そいつを捕まえ持ち上げて、穴の外に出してやると、自分も跳躍と腕の力で、2メートルある穴から這い上がった。身長は190センチあるため、懸垂と脚力で自力で脱出することが出来るのだ。
だが、親イノシシは容赦なかった。出てきたばかりの俺めがけて突進してくる。
「うおっ。やめい!!」
俺は何度か転ばされたが、両足で踏ん張ると、イノシシの動きに合わせてカウンターパンチを食らわせた。それが眉間にクリーンヒットしたが、一瞬よろめくも攻撃をやめないイノシシ。だが、俺とてひけを取らない。勢いに任せて体当たりし、ひるんだやつの首に腕を回して締め上げる。やつは四肢をじたばたと必死であがいたが、十数秒でころっと気絶した。
やれやれ。今日の収穫はゼロか。
骨折り損のくたびれ儲けとはこのことか。と、俺は泡を吹いている親イノシシと、その脇で心配そうにふるえているウリボウを見逃して、家に戻ることにした。今度は穴に落ちるなよ。
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