12 / 108
4-1 朝帰り
***
「う……う……」
誰かのすすり泣く声が聞こえて、俺は目を覚ました。視界がぼんやりとしていて、焦点が定まらない。
「ア……レン……アレン……ああ」
声の主は目の前で俺を覗き込んでいた。子供らしい。髪の毛は淡い色……だけど、その顔は不鮮明で、目をこすろうとしたけど、腕が痺れておりぴくりとも動かなかった。
地面に倒れているのだろう、俺が見える景色は緑の木の葉がざわめいていた。明るい森で清涼な空気に満ちており、乾いた土の上に柔らかい下草が茂っていて、何だかくすぐったい。でも、どうして倒れているのか、わからなかった。
「ここはどこだ?」
「……うう……」
俺の意識が戻っても、その子は泣き止まない。手を顔に抑えているが、指の隙間から涙がこぼれ落ちている。この子は誰だ?どうして泣いているのだろう?
「俺は怪我をしているのか?体が……動かない」
と言いはしたが、ゆるゆると痺れは解けて、腕を頭上にかざすことが出来た。
眩しい光の差し込む中にきらきらと輝く天使がいた。
「お前は誰?お前…………お……俺は??」
——俺はいったい?誰?
子供は顔を上げると、悲しみに満ちた絶望の面持ちで俺の手を握った。ヘーゼル色の瞳からは大粒の涙がとめどなくあふれていた。
「あああああ!!アレン……アレン……」
——僕を!僕を思い出してよ!!!
***
「アレン!!アレンってば!!!」
誰かに揺さぶられて、俺は瞼を開けた。
あの時のように俺は、地べたに倒れていた。
「カミュか……」
日差しは高く、夜はすっかり明けていた。そして、俺は山の中腹の轍の中に大の字に横たわっていた。出口のない森の中で彷徨っているうちに、眠ってしまったらしい。
「アレンったら。どうしてこんなところで?僕を待っていたの?」
カミュは、俺を心配している様子を見せたが、その顔には若干の得意げな笑みを浮かべていた。アレンは僕を探しに家を出て山を下りようとしたらしい、自分はこんなにも愛され、心配されている、と悦に入った表情だった。顔から感情が読み取れるだけに、無性に腹が立つ。
「お前……今帰ってきたのか?」俺はカミュの問いには答えずに、脇の馬を見やった。
カミュの傍で立ち止まっている痩せ馬には見知らぬ荷車が取り付けてある。中には大型の本が4、5冊のほか、食料などが積まれていた。
「遅くなってごめんね。いろいろあって……」彼は頭を掻いた。悪びれているつもりか。
「へえ。いろいろあって、無断で朝帰りか?楽しかったみたいだな」俺の言葉には皮肉以上に怒りが込められていた。
「……あの。資料が……」
さっきまで有頂天だったカミュは、語気に込められた感情に一気にしぼみこみ、おどおどと俯いた。何か事情を喋ろうにも言葉が出てこないようだ。
「言い訳は家に帰ってから聞く」
俺は土ぼこりを払いながら立ち上がると、つと踵を返して、カミュを置いて家へと向かった。カミュが眉をしかめて不安そうに突っ立っている気配を背後に感じた。
***
「俺の名前をもう一度言ってくれ」
俺は、少年に導かれて知らない森を歩く。少年はもう泣いてはいなかった。
「君の名は、アレン。アレン……。アレン・…イーグルだよ」
アレンもイーグルも聞き馴染みがない。イーグル……鷲か。
「そうか」何も思い出せずため息がこぼれる。
「覚えてないんだね…」
悲痛そうな小さな声が俺の耳をかすめた。聞こえないように言ったのだろうか。
「ああ……。お前は?」
「え」
先を歩いていた少年は、怪訝な顔をして振り返った。
「お前の名前……」
「僕は……カミュ……」
俯いて、表情を見れなかった。
「カミュ。苗字は?」
「苗字なんてない。僕……」
「……」
「僕、家族いないんだ」
ぽつりと言う彼の背中はとても小さくて哀れを誘う。
「そうか……」
「……アレン。どうか、僕を……僕を見捨てないで……」
***
ぶわっと背筋を何かが走り抜けるような感じがして、俺は目を見開いた。家に向かって歩いている最中に気が遠くなっていたようだ。野宿の疲れが出たのだろうか?
ちょうど2年前、記憶をなくして倒れていた俺を森の中でカミュが介抱してくれた。小さな手で俺を揺り起こし、目には涙を浮かべ、ずぶ濡れの体は震えていた。そういえば、あの時俺は全裸だったが、いつの間にかカミュが服を用意してくれていて、俺を近くの村まで導いてくれて、この子はどうして俺に尽くしてくれるんだろう、と漠然と思っていた。あの時、どうしてカミュは泣いていたのだろう。
「荷物はいいから、すぐに中に入れ」
俺の後ろから、気まずそうについてくるカミュに怒鳴る。カミュはびくついて上目遣いで様子を探る。
「でも、……この本貴重なんだ。中に入れないと」
荷車から持ち上げようと踏ん張るが、大型本は相当に重いらしい。
カミュの力だと一冊ずつ運ぶようだな。……俺は手伝ってやらんが。
「この山には俺たち以外誰もいないんだし、外に置いておいたって盗まれやしない」
「……午後から雨が降るみたいだよ??」
口をへの字にしてカミュは空を仰ぐ。雲一つない晴天だというのに嘘だろう?
「けっ。好きにしろ」俺は扉をぴしゃりとしめた。
ともだちにシェアしよう!