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4-3 女の家
***
荷馬車に揺られながら、俺たちは向き合って、外の風景を眺めるでもなく話す。
「アレン、またお髭剃っちゃったんだ……」
「お礼を言いに行くのに、不精髭じゃみっともないだろ」
出掛けに剃刀を当ててきた俺の白い頬を見て、カミュは情けない声を漏らした。長いこと髭に覆われていたせいで、顔の下半分は血色が悪く若干青白い。
「でもお髭剃る前にレイナさんにあったんだよね。びっくりするだろうなー」
別人と思われちゃうかもね、といってふふと笑うカミュに、ため息をついた。能天気なやつだ。
「それよりアレン、その傷……薬だけで本当に大丈夫?」
話題を変えて、カミュは俺の手にそっと触れた。両手と肘に包帯を巻いてはいたが、ただの擦り傷である。薬を浸したガーゼを固定するための包帯が、仰々しく見えるだけだ。イノシシ狩りと山の中で転んだ時の怪我だ。大した傷ではなく、唾をつけておけばそのうち治るような傷だ。しかしカミュは、気付くなり回復魔法を使おうとして俺は手を引っ込めたので、揉めに揉めた。だから、薬を塗るということで決着したのだ。
「大丈夫だって言ってるだろ」
俺はカミュの使う魔法があまり好きじゃない。好きじゃないというと、語弊がある。魔法を使わせることが、彼の脆弱な体に障るんじゃないかと思うことがあるのだ。カミュは、魔力は体力や生命力に関係しないと否定するのだが、俺は使わなくてもいい魔力をカミュに使わせたくないのだ。カミュが育てている薬草や煎じて作る薬が、回復魔法の代替策となる。治りは遅いが、確実に治る。軽傷ならそれでいいじゃないか、と思う。
でも、あいつは俺が気をそらしている間に、手をつないできたりして勝手に魔法を使おうとする。だから、俺は怒る。すると、彼はしゅんとなって、すぐまたむくれて……。はぁ。心配なのはわかるけどさ。カミュは俺に過保護だ。
「ねえ。アレン、ところで昨日何があったの?夏だからまだよかったけど、あんなところで倒れていたし、それに君が怪我をするなんてよっぽどだよ……。僕が心配で下山しようとしたの?」
カミュは心底心配そうに俺の傍によって、上目遣いで見上げた。こういう視線に俺が弱いのを承知でのことだ。
「……」
「僕が帰ってくると思って待ってたんだよね。ごめんね……」
両手を荷台について、謝ってくるのも苦々しいほどだが、俺はこういう彼の謝罪に弱い。俺が許してしまうスタイルというのをあれはよーく知っているのだ。
「……手の傷は違う」
「え」
「穴に落ちた時の傷だ」
下山中に転んだ時にも礫が傷に入り込んで痛い思いをしたが、自分たちの住処である山を彷徨い歩いたことは、もう翌日には思い出したくないくらいトラウマになっていた。
「あ……穴?何の穴?仕掛け穴?」カミュが興味津々に訊いてきた。
「う……」
仕留められなかったイノシシのことを話すのは、残念な男のやることだ。親子のイノシシだったからとはいえ格好悪い。俺は口をつぐんだ。
「なんで教えてくれないの?ちぇーっつまんない」と、カミュはすねた。
すねた横顔も可愛いのだが、微風にすら靡く金獅子の子供ような柔らかい髪の毛が美しくて、俺は目を細める。
背中に羽が生えていたら、本当に天使だったろうに。家族がいないと言っていたが、本当は翼を失って堕天した天使じゃないかと思うことがある。そんな発想は俺らしくもなく、ロマンチストこの上ないが、どうしてこんな俺のもとに来たのだろうな……。
何もかも忘れ、全てを失ってしまった哀れな俺に神様が与えてくださった、ただ一つの贈り物。
——俺のもの。神様からの贈り物。
そういう風に思っていることをカミュは知る由もない。
***
ようやく村に着いた。普段買い出しのときに留めておく下馬場を素通りして、カミュの案内する通りにレイナ嬢の家へと荷馬車を進める。
「お前さ、昨日今日で2往復させるわけだが、ロディのことも心配してやれよ」
俺はすでに荷台から降りて、歩きながら痩せ馬の背を撫ぜてやった。やつはブルルと口を震わした。
「ごめん。僕、借りた本が館内閲覧しか出来なかったら、毎日ロディをこき使わせるところだったよ」カミュは本当にそこまで考えてなかったらしく、項垂れてロディの尻尾に触れた。
「思いやりが足りんな」
「ひどいなあ」カミュは苦笑し、そこを左だよと言った。
レイナ嬢の家は、市場の裏手の横丁の雑貨屋の隣に建っていた。色褪せたレンガ造りの2階建ての小ぢんまりとした家屋だったが、外観からして俺たちの家よりは広そうだった。通りに面して窓が4つ設けられていて、全てに半月型のプランターがかかっていた。ブーゲンビリアが今を盛りに咲いている。
二人が何気なく2階を見上げていると、窓が急に開いて首を出すものがいた。
「あら!カミュ君!」
金色の真鍮のじょうろを片手に、上ずった声で女は叫んだ。
「レイナさん!」
カミュもタイミングの良さにびっくりして赤面した。俺は横目でそれを見る。
「ちょっと待って。今出るわ」
玄関から出てきた女は、三日前に図書館であった女に違いなかった。
年の頃18くらいだろうか。あの時はまじまじと見られて、見返すことが出来なかったので、どんな人かあまり記憶に残らなかったが、今度は俺もまじまじと見てやった。
女の中では中背でやせ型、茶色のおさげ髪にビー玉のような青い瞳をして、胸は小さいが慎ましやかな淡色のワンピースに身を包んでおりなかなか清楚な美人だった。レイナは、カミュに快く挨拶すると、視線を俺に写した。やはり、じっと見つめて、
「あれ??あれ??」と、戸惑っている。
「三日前に本を返却した……兄だよ」カミュはくすっと笑いながら、俺を彼女に紹介した。
「え……。えええ??」三日前はクマ男だった。驚くのも無理はない。
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