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8-4 不正試合

*** 「へぇ…町ではそんなことが」 「治安が悪いのねえ。やだやだ」  ノルマンもカミュも丸テーブルを囲んでレイナの話を聞きながら、コーヒーを飲んでいる。 「ええ。窃盗の被害が一向に収まる気配がないんですって」 「町の自警団は何をしているのかしら~」ノルマンはふうふうとコーヒーを冷ましている。  ここはノルマンの店の奥にあるアトリエ。  アトリエには魔法大学出身の画家が「超アート」というテーマで描いた、スーパーナチュラルで解釈不能な絵画が何枚も飾られている。長く観賞するとせん妄状態になったり、失神したりしてしまうことがあるので、この部屋に入る人はあまり絵に目を合わせない。それは暗黙の了解だった。 「最近、国全体にあまり活気がないですからねー」  レイナも角砂糖をコーヒーに落とすと、マドラーでかき混ぜている。 「国王陛下も城内にご不在のことが多いようだしね。執政は宰相任せだとか。一体どうしたものかしらねえ」  レイナがお使いに行ってきた町は、この村から馬車で1時間ほどの最も近い町であるが、国王陛下のおわす城下町ではない。城下町は山を越えてもっと東の方にある。新聞を読む三人は、国王陛下の動向も人並み程度には知っている。 「そういえば、レイナちゃん。夏祭りの様子、どうだった?」ノルマンが違う話題を振る。 「すごい混雑でしたわ。もう大会が始まっている頃でしょうけど、今回は広場でやらないで、空き地に移動してやるんだそうよ」 「大会?」 「ええ。カミュ君はここに越して2年くらいだから知らないか。夏祭りの力比べ大会は、賞金がすごいのよ。一体いくらだと思う?……優勝者には5000Gの」  レイナがそう言った途端、カミュはドンと立ち上がったので、テーブルの上のコーヒーは零れ、飲もうとカップに口を近づけていたノルマンの髭に熱いコーヒーがかかった。 「わっ!カミュ君たら」  服にまで零してしまって、とりあえず拭おうと布を探すノルマン。 「僕、行かなくちゃ……」  魔術書を小脇に抱えて、カミュは泡を喰ったように店外へ出る。妖精のドアベルが激しく鳴った。 「ノルマンさん、コーヒーありがとう。荷物はまたあとで取りに来るよ!!」  カミュは振り返りもせずそう叫びながら走り去った。店内には彼の買い物袋が残っていた。 「ちょっとレイナちゃん、あの子追いかけて。大会会場に行くんだと思うけど。心配だわ」  レイナはこくんと頷いた。 *** 「はあ……はあ……」  カミュが息せき切って、カボチャ投げの競技会場にたどり着くと、すでにアレンは投擲をし終えた後で、記録は22.5mと現時点で断トツのランキング1位と掲示板に表示されていた。だが、アレンはいない。表彰台の裏手にでもいるのだろうか? 「待って。待ってよ……」見間違いじゃないかと目をこすって、掲示板を確かめる。  ——あと、何人投げるの?  控えには3人。今、一人がちょうど投げたところだった。記録1.5m。  ——嘘でしょ?  参加者の記録はアレン以外一桁台で、カミュは顔を引きつらせながら辺りを見回す。巨大カボチャが積まれた荷車があって、そこから投擲するカボチャを選んでいるのがわかった。 「そうか……」  カミュは後ろから回りこんで、荷車にそっと近づいた。 「ま……待って」後ろから手を掛けられて、カミュは振り返った。 「レイナさん、どうして」 「何をする気?」レイナは眉をしかめた。 「……レイナさん、ごめん。僕……カボチャを……軽くする」  カミュはレイナの顔から眼をそらして、感情のこもらない声で答えた。 「え、だって、お兄さんが首位じゃない!そんなことしたら……」 「いいんだ。……アレンに勝たせたくないんだ」 「どうして……?」  彼女の問いには答えず、カミュは呪文を唱えた。  間髪入れず、 「あー次はおらの番か、よっこいせっと」と荷車からカボチャを持ち上げる初老の男性。 「あれ?ちっと軽くねえか?おーい、こいつを投げればいいんかい?」  と、男性は白線の内側に入ると、ひょいっと投げた。  それは風船のようにゆっくりと上がっていき、鳥の滑空のように直線的に着地したので、観衆は皆目を見張った。記録35m。  次の挑戦者も、手に取ったカボチャの軽さに驚きつつ思い切り投げたので、自分の体すら浮きそうになった。記録50m。最後の挑戦者も同様であった。  皆は不思議がって顔を見合わせたが、参加者全員の競技はこれで終了した。 「アレンさんは、……4位入賞ね。カミュ君、一体何がしたかったの?」 「……」カミュはずっと押し黙っていた  しばらくすると表彰式が始まったが、表彰台の裏の控室から出てくるアレンの姿が見えた。  アレンは周りの人々と何か話をしているようだった。慰められているのだろうか。筋骨隆々の上半身を晒して、爽やかな笑みをたたえていたが、その心のうちに抱える無念さがカミュには手に取るように分かった。さぞかし悔しいだろう、でも、しょうがない。  アレンの思いを踏みにじった気がして泣きそうになる。  アレンはカミュに気が付いて手を振った。頭を掻きながらしくったなーという風に近づいてくる。自分はどんな表情で会えばいいのだろう、カミュがためらいがちに立っていると、後ろからドンと体当たりされて、前のめりに倒れた。ずしゃっと土砂が目に入って痛い。 「え、カミュ君」レイナが心配して駆け寄る。 「うー。だ、だれ?」カミュは目をこすりながら、地べたに手を触れる。  ——あれ?魔術書がない? 「あ、あの人、魔術書……」  レイナもすぐに気付いたがショックでへたりこむ。あの本は禁帯本。自分が秘密にカミュに貸し出したものだったからだ。  一部始終を目撃し駆けつけたアレンが、わき目もふらずに黒山の人だかりに突っ込んでいった。青い魔術書を小脇に抱えて、麻袋を肩に下げた頭巾の男が逃げていくのをしっかりと見ていたアレンは、人だかりをかき分けてすばしこく逃げる男を追っていく。  体が大きいアレンは、人ごみで大勢とぶつかってタイムロスしたが、大通りを抜け出した後は、ぐいぐいと男との差を縮めた。横丁通り、脇道、路地裏、そして袋小路に追い詰めて捕えようとしたとき、男はしゃっと光るものを懐から出した。  刃渡り20センチほどのダガー。それは、窮地に追い込まれたネズミの最終手段だった。

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