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8-5 注目を浴びて
路地の行き止まりにて向かい合う二人。ダガーを持ったスリと徒手空拳の俺。
二人の攻防を見ようと追いかけてきた野次馬が、袋小路に殺到し逃げ道を封じる。怖いもの見たさのいらぬ好奇心と、頭数で敵を追い詰めてやったという思い込みの自負心が、窃盗犯の狂気を煽る。追い詰められたものは何をしでかすかわからない。所詮は烏合の衆である野次馬に危害を加えるかもしれず、危険な状態だった。
二人は睨み合い、じりじりと間合いを詰めていく。頭巾で顔を覆ったスリ犯が威嚇のため振り回していたダガーを持ち替えた。直後、目を光らせ俺の脇に突きを入れようとしたところに、俺の手が柄をとらえ、相手の小手めがけて膝を振り上げて、刃物を落とした。犯人は逃げようとも抵抗しようともしたが、筋肉の塊のような男に叶うはずもなく、四の地固めにされて村人達に逮捕されることになった。
俺は起き上がると落ちていた青い魔導書を素早く広い、ほこりを払うと後から追いかけてきていたカミュに手渡した。カミュは顔色をすっかり無くしていたが、カミュとともに来たレイナはほっとした表情をしていた。
スリが持っていた麻袋には、観客たちからスったと思われる財布や貴金属がわんさか入っていた。それを見ると、村人たちは俺を囲むようにして盛大な拍手を始めたのだった。一週間前に髭を剃ってイメチェンしたときに浴びせられた拍手より遥かに大きいもので、俺は顔を真っ赤にしながら突っ立ってしまった。
はっとしてすぐに立ち去ろうとしたのだが、村人たちに囲まれてしまった。仕方がないのでカミュの耳元に「あとで落ち合おう」と言うと、知らない村人達に腕を引かれて路地から街中に出た。その後は、後日村長から直々に表彰があるだろうだの、クマ退治の依頼がしたいだの、とあるクエストに協力してほしいだの、いろんな話を振られて困惑してしまった。そこには、ギルドの女性オーナー、マール・キルトンの姿もあった。
***
そうこうしているうちに、日は傾き始めて、ずっと立ち話をしていた俺のもとにカミュが戻って来た。両手で紙袋と本を抱えていたので持ってやると、あいつは空いた手で俺のベルトを掴んだ。
「どうした?」
「……帰ろう?もう、帰ろうよ……」
俺の影に立っていたせいで周りには見えなかっただろうが、カミュの目にはきらきらと涙が浮かび、頬は少し赤みを帯びていた。
「具合が悪いのか?」俺は腰をかがんで、カミュの額に手を添えた。熱はないようだ。
「ううん。……帰りたいだけなんだ」
グズついたカミュはベルトから手を離さない。その手は心なしか震えているようだった。
「待たせて悪かった、カミュ。もう帰ろうな」
俺はカミュの頭を軽く撫ぜてやった。そして、周りの人々に挨拶をして、少年と一緒にその場を立ち去った。
荷馬車の中で、カミュはうつむいたまま隅の方で身動きをしなかった。
「どうした?元気がないな。お前らしくない。本は取り返してやったろ?気分が悪いのか?」
「……アレン……駄目だよ……駄目なんだよ……」
「え?」
「お願いだよ。……も無茶なことはしないで」
「怖かったのか?相手はダガーを持っていたからな。でも軟弱そうな体だったし、屁っ放り腰でナイフを振り回していたから、動きは見切ってた。俺が驚いたのは、自分が瞬時に動けたことだ。あんなあっさりと犯人を押さえつけられるとは思わなかったよ」
「うう」カミュは頭を抱え込んで唸る。頭痛でもするのだろうか?
「カミュ。もう終わったことなんだし、心配すんなって。本が戻って、レイナさんもほっとしてたしな。ただ、あの本は装丁が綺麗だし、よっぽど貴重なもののようだな。また引ったくりにあうかもしれないし、持ち運びには気をつけろよ」
カミュは何か言いたげだったが、下を向いて押し黙るばかりで、俺はどう慰めればいいのか皆目見当もつかなかった。
***
今日もまた、肌を重ねる日ではあったが、犯人を取り押さえたりといつもより活動的だったこともあり就寝前に風呂に入った。風呂から上がると、カミュが用意してくれた下着に足を通す。
「カミュ……今夜はよそうか?」
浮かない顔をしたカミュに俺はそっと声をかけた。
「え」
「お前、家に帰ってからもずっと気持ちが沈んでいるだろ。折角腕を振るって作ってくれたラム肉のソテーも、ほとんど残したし。……お前の分全部食べてやったけど、…旨かったぞ」
あの事件のあと、妻がスリ被害に遭っていたという肉屋の亭主が、お礼にと羊肉を500gもくれたので、今日はご馳走だった。まだ余っているから、明日はラムチョップだろうか?普段は可哀そうだからと食べなかった仔羊肉に舌鼓を打ってしまった俺は残酷だ。
「うん。少し食欲がなかったんだ」
カミュは俺が風呂場に行くまでに脱ぎ捨てた衣服を拾って、表側にひっくり返しては籠に積んでいく。いつものことだが小言ひとつ言わない。
「お前も腹が減ってたから、あんな手間かけてご馳走を作ったんだと思ったよ。自分の作った料理なら、美味しくてペロリと平らげちゃうけどなあ」
カミュが用意したバスタオルで、濡れた髪をばさばさと叩き、胸板に落ちた水滴を拭った。
「それは……。僕はアレンの今日の活躍をお祝いしたかったんだ」
淡々と言いながら、裏返った靴下を一つ一つ丁寧に手を突っ込んで、表に直していく。
「そうか?」
タオルを首にかけダイニングに戻ってきた俺は上半身裸のままソファーに座った。
テーブルの脇に無造作に置かれていたというより、転がっていた記念品の巨大カボチャを持ち上げて、尻の部分を一か所指の腹に乗せて回し始めた。毎朝、仕事の前の準備体操に片手一本指で腕立て伏せや懸垂を100回行っているので、30kgのカボチャであっても指を折らずに容易に回すことが出来る。簡単そうに見えて常人には至難の業だ。
カミュはそれを見て「すごい」とでも感心してくれてもいいのに、憂鬱そうな表情を浮かべている。
「……にしては、あまり嬉しそうじゃないけど。とにかく、気分が乗らないなら今夜は」
「嫌だ……嫌だよ。一週間も待ったんだ。抱いてよ、アレン」
膝の上にまたがり、俺の顔を真正面から見つめるカミュ。そんな切実そうな眼で見入られては、抱き寄せて寝室へと運ぶしかなかった。
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