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*-2 港町にて
***
一週間後には、俺達は港町についていた。その間、2、3の村や集落を経由したが、降車するのはカミュで、俺は用を足すときとキャンプのときだけ地面に降りるだけだった。幌馬車を村の外に停めて、カミュだけが食料などを買い集めてくるのだ。俺は訝しく思い訊いた。
「宿はないのか?」
「え」
「馬車旅は疲れた。村の宿に泊まろう」
「あ……ああ。村の人に聞いたよ。小さな宿で、今夜は満室なんだって。残念だね」
「そうか。じゃあ、このまま次のところまで行こう。宿があれば、俺も村に入りたい」
「うん……」
次の村に行っても、宿はなかったと戻ってきたカミュは言った。さっきの村より大きい気がするのに宿がないのを不審に思い、俺は馬車から降りて村に入ろうとした。すると、カミュが全力で止めにかかった。
「あ……アレンさん……。宿屋の相場知ってる?」
「は?」
「そっか。記憶がなくなっちゃったんだもんね。僕たち、持ち合わせが少ないんだ。食料を買うくらいなら何とかなるけど、目的地に着くまでは節約しないといけないし……。車中泊やテントが辛いのはわかるけど、もうすぐ港町に着くしそれまでの辛抱だよ」
カミュの発言に俺は目を見開いた。港町?何をしに行くんだ?
「あ、行ってなかったね。次の港町に着いたら、船に乗るから。船に乗って隣の大陸に渡るよ?」
「隣の大陸?」
「今、ここはドラコ大陸。ドラゴンみたいに大きな口と長い尾を持った一番大きな大陸に僕たちはいるんだ。その尾の先の港町に向かってる。その先は海峡でね、ペガスス大陸との距離が一番近いんだ」
「ペガスス大陸?」俺は初めて聞いたようにオウム返しをする。
「そう。この辺りは火山や砂漠地帯が多いけど、森林や草原、牧草地帯で占められている。人もたくさん住んでいるんだ。魔法の王国があって、魔術師も多い大陸だよ。文明も発達している。豊かな生活が出来るよ」
「行ったことがあるのか?」
「ううん。ないけど、文献にそう書いてあった。港からペガスス大陸まで600キロはあるけど、貿易帆船に乗せてもらえば、大体時速6ノットで進むみたいだから、一週間足らずで着くんじゃないかな?僕の予想だけど……」
行先に不安を覚える俺に、カミュはどこまでも明るく振舞って手を握り締める。小さな手をした年端も行かない少年に命を握られているようで怖かった。見た目のわりにしっかりしているのは認めざるを得ないが。
***
港に着くと、ようやく彼は俺を連れて宿屋に入った。チェックインをし、部屋に上がると俺は真っ先にベッドにダイブした。テントや荷台で体を曲げて寝る苦痛から解放されて、この上なく嬉しかった。カミュは、俺が枕に頭を埋めてくんくんと匂いを嗅いでいるのを笑って眺めていたが、ボーイに運んでもらった長持ちを開けて、替えの衣服を引っ張り出した。
「この宿、外にシャワーがあるよ。簡素なやつだけど。良かったね。アレンさん全然入ってないでしょ?シャワーを浴びたら、これを着て?お夕食の時まではお部屋でくつろいでいていいから」
そう言って、俺の靴を履いたままの足元に綺麗に折りたたまれたTシャツとベスト、ジーンズを置くと、足早に部屋から出て行った。彼はいつもせわしなく動き回っている。少しはのんびりしたらいいのにと思ったが、俺は謎の少年から一時解放されて、ふぅと長い息をついた。
足を伸ばして深呼吸し、頭上を見る。ゴージャスな天蓋ベッドになっていて、四隅の柱よりベルベッドの天蓋がゆったりと垂れていた。つやつや輝く布地の端にタッセルがついていて、手を伸ばして弄ぶ。
四方に壁があり外から完全に遮断された個室は、屋外泊続きでプライバシーもへったくれもなかった俺には格別に新鮮で居心地が良かった。先ほどカミュが入ってくるなり窓を開けておいてくれたおかげで、心地よい潮風が入ってくる。
しばらくすると鳥の鳴き声が聞こえ始めて、俺はのろのろと上体を起こすと窓辺へと向かう。窓から外を見ると、目の前に埠頭が見えた。停泊している漁船がいくつもあって、沖の方に帆船が一艘浮かんでいた。海がキラキラまぶしくて目を細めていると、大きなカモメが眼前を横切った。海に近い宿なだけに、海鳥の馴れ馴れしさも尋常ではない。
ベランダの手すりにとまって、餌か何かをねだっているようだ。様子を少し観察していたが、俺はカモメの先の路地に焦点があった。カミュが、埠頭の脇の建物に入っていくのが見えた。キャスケットを目深に被っているが、金髪がのぞいているし、背格好や歩き方、服装から彼だとわかる。不思議な少年だと、思った。
***
夕食時、カミュは俺の姿を見て言った。
「アレンさん……。シャワーに入らなかったの?」
「ああ」
俺は窓辺でうっとりと海を眺めた後、再びベッドに横になり、ボーイが食事を運びに来るまで熟睡してしまっていた。カミュは配膳が終わって少し遅れて戻ってきたのだ。
「疲れてて寝ちまってた」
俺はまだ眠たい眼をこすりながら、テーブルの前に着席する。ちゃんとした椅子に座って食事をするのも久しぶりだ、というか記憶を失ってから始めてである。椅子は一般的な人の体のサイズに合わせて作られているので、俺の脚は余って行き場を失う。足を膝で組めばテーブルに当たるし、困った体だと思う。
「そうなんだ。入ってて欲しかったな。実は、明朝出発する貿易船に乗ることになったんだ」
「ええ!?」俺は驚く。
「日中沖にあった船だよ。今日戻ってきたばかりだけど、明日にはとんぼ返りするそうなんだ。さっき交渉して、明日の船に乗せてもらえることになったから、お夕食を食べ終わったら、必ずシャワーに入ってね。船内では水は貴重だし、シャワーやお風呂はないと思うから」
カミュは俺の服を指さして「それはもう洗う時間ないし捨てるから」と言った。体も含めてよっぽど臭うのだろう。自分の臭いには鈍感になるというが、カミュの反応に俺は察した。
「船賃は?」
俺は、シタビラメのムニエルをフォークでつつきながら訊いた。メインディッシュの傍らにはボイルされた温野菜が塩と胡椒で味付けされており、他にキドニービーンズのスープと切り分けてあるバゲット、赤ワインがついていて、バゲットはお代わり自由だという。大陸最後の日だが、食事付きの宿に泊まれてなんという贅沢だろう。
「心配しないで大丈夫。この時のために今まで宿にも泊まらず……節約してきたんだ」
そう言うとカミュはキャメル色のジャケットの袖口から、すっと二枚の乗船券を出し、俺の目の前で得意げに振った。
「お前……よく交渉できたな」
爆睡する前に、カミュが商船会社の建物に入っていくのを確認できたが、今日帰航した船に、明日乗れるなんて話がうまくいき過ぎている。それにカミュはまだ子供だ。たとえどんなに金を積んだとしても、保護者のいない子供が単身で乗船を願い出て、受理されるだろうか?「家出じゃないか?」とか、普通だったら心配されるに決まっている。
「あ……うん。そのことはね、僕は言いくるめの技能があるから」
カミュは恥ずかしがりながらも、口元に底意のある笑みを浮かべていった。
「言いくるめ?なんだそれ」
片方の眉が吊り上がり、口に突っ込んでいた魚の咀嚼が自然と止まる。
「魔法学の初歩中の初歩だよ。たぶらかしの術のひとつだ。滅多に使わないんだけど」
カミュは少しそわそわしながら、人がいないにもかかわらず小声で話した。
「お前……魔法が使えるのか」
「うん……」
びっくりしている俺の前で、カミュはやや困惑気味に頷いた。
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