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*-4 暴行事件

***  出航して3日目。  対岸まで600キロの航海の折り返し地点をようやく過ぎたころだが、俺は荒れた波に翻弄され苦しんでいた。船酔いである。船酔いの兆候は初日から見られたが、親切な船員に薬を貰いまだ何とかなった。だが、天候が急激に悪くなり、嵐の兆候があるというこの荒れ海の中で、俺は客室のベッドで休むことも出来ず、壁の隅で手桶に向かって吐き続けていた。 「うー」  朝から何も食べることが出来ず、いくら吐いても何も出ない。錠剤を飲んでも治まることのない吐き気にうんざりする。航海を重ねるうちに慣れるというが、俺はおそらく海に出たことがないのだろう。陸の男なのだ。だから、俺がこの大陸で漁業を営もうとしたときにカミュが反対したのかと今なら合点がいく。 「アレンさん……寒くない?」カミュは心配そうに俺を見やった。  昨夜から北の空から流れてきた雲が大雨を降らし、夏とは思えないほど涼しい夜を迎えていた。これで体調に異常がなければ、肌寒さくらいで済むのだろうが、体力を消耗していた俺は体温の低下に体を震わせていた。乗客には一人一枚の毛布が用意されていたが、昨夜の食後の吐しゃで盛大に汚してから、それは屑籠に放り込まれている。代わりにカミュが長持ちから取り出した、薄いガウンを羽織っているが、織り目が荒く、ないよりましという程度だった。海上の夜は冷える。熱が逃げていくのを何とかしなければ、と思っていたら、 「僕の毛布あげるね」とカミュは自分の毛布を俺にかけてくれた。今まで使っていたのだろう。温かかった。 「お前、風邪ひくぞ……」 「僕、船員さんから一枚貰ってくるよ」 「一人で行けるか?」 「僕の心配はいらないよ。それより、この船大丈夫かな?すごい揺れてるけど……沈まないといいね」  カミュはニコっと笑いながら冗談に聞こえない冗談を言った。そして、俺を励ますように毛布越しに肩を撫ぜると、踵を返して迷うことなく部屋を出て行った。子供のくせに行動が機敏すぎる。俺ばかり彼に迷惑をかけている気がする。大陸に着いたら早く仕事を見つけて、あいつに恩返ししてやろう。 ***  疲れ切っていた俺は、冷たい床の上で三角座りをし微睡んでいたが、ぐらりと船が大きく揺れてふと目を覚ました。今は何時だろう?客室には時計がない。 「……」  ランタンが一つあるきりの薄暗い客室を無言のまま見回したが、誰もいなかった。  カミュは?毛布を取りに出て行ってから、どのくらい経ったのだろう?   「カミュ?」名を口にしたが、返ってくるものはない。  俺が探しに行こうと立ち上がろうとしたとき、扉がぎぃと開いた。  部屋に入ってきたのは、はたしてカミュだったが、船の揺れと同時にふらついて床に倒れこんだ。 「カミュ!」俺は駆け寄って、彼の顔を覗き込む。 「……つぅぅ……」青い顔をしたカミュが口を真一文字に引き締めて目をつむっていた。  額に血の筋が流れており、頭を怪我していることが分かった。 「一体どうしたんだ??」びっくりして彼の頭を抱き寄せて、正面から問い詰める俺に 「こ……転んだだけ……」と、ようやく薄目を開いて、残念そうに笑う少年。  転んだ??確かに嵐のせいで大きく揺れてはいるが、船酔いもしていないカミュがこんなに派手に怪我をするだろうかと訝り室外を探索してみようかとドアに向かったら、再び扉が開いて、船員が三人中にずかずかと入ってきた。そして、一番大きい体格をした男が、俺の胸倉を唐突に叩いてきた。 「あんたんとこのガキか。人ん毛布をくすねようとは、シツケがなってないぞ?あ?それともあんたが指示したんか?責任とれよな?このませガキが、こちとら魔法が使えないとたかを括って、言いくるめでマウントとろうとしたってな。亀の甲より年の功たあ、よく言うが、こんなクソガキにバカにされるたあ思わなんだ!!」床に伏せているカミュを鋭い目つきで見下しながら、頭突きでもしそうな勢いで、俺に暴言を浴びせる。 「どういうことだ?」冷静を取り繕って俺は問う。 「どうもこうもねえ。毛布をタダで譲ってくれ言うから、10Gと言ったんだ。そしたら、2Gを10Gに見せようと悪魔の術を使いやがった。たったの2Gで俺たちをたぶらかそうとしたわけだ。そんなの通用しないってからに!それでな、他の奴に訊いたら乗船券もこいつが買いにきたっていうじゃないか?もしや、乗船券もたぶらかしの術で値をまかさしたんじゃないかとね?吐かせようとしたのさ」  男はすごい剣幕で怒鳴り散らした。たしかに、乗船券を買うときに言いくるめの術を使ったとカミュは言っていた。でもそれは、子供が乗船券を買いに来るのは怪しまれるからだろう、流石に金額までは値切ってはいないと信じたい。しかし、毛布一枚に10Gは流石にボリすぎだ。 「吐かせようとした?」俺は戸惑いながら訊いた。 「ああ。何発か殴らせてもらったよ。ちっとも白状しないからな。あんたが指示したって言うのなら、ガキは助けてやるが……一体どうなんだい?乗船券は倍額弁償してもらうけどな」  よく見るとカミュの左目に青あざが浮かんでおり、腕を抑えていることからも、そこを打擲されたのだろう。なんというクズな船員だ。弱い者いじめをして楽しいのか。 「船の金はちゃんと払ったよ。本当だよ。アレンの指示じゃない……。だから、アレンには危害を加えないで」カミュは意識朦朧としつつ涙声で訴えている。俺が支えてやらないと上も下もわからないような状態なのに、まだ意識を手放してはいなかった。 「信用できるかってんだ」男は持っていた棍を振りかざしたが、俺は慌ててその腕を止めた。 「ひっ」カミュの目は怯えすくみ上っていた。  もうこれ以上打ち据えないでと、両腕を懇願するように掲げている。 「ふざけるのもいい加減にしろよ。子供のやったことに、そこまでする必要があるのか?」 「体罰だ!こうでもしないと繰り返すからな。将来、盗人なんかになりたくないだろ?」  無理にでも振り上げようとする男の腕を、俺はねじり上げて、男の上体ごとガクンと床にのしてしまった。男の肘の関節を完全に外した俺は、脇に立っていた二人の船員に取り囲まれる。一人は首にかかっていた笛を吹いた。 「船員に暴力を振るったな?違法行為で逮捕するぞ」  そう言って掴みかかってくる二人を俺は肘鉄と回し蹴りで一瞬で地面に転がした。

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