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*-5 赤髪の船長

***  笛の音を聞きつけたのか、たちどころに外の音が騒がしくなる。船員達が廊下を駆けながら、客室や貨物室のドアを叩いて巡回している。客室といっても、この船は貿易用帆船なので数は少ないし、とんぼ返りする船に乗ろうとする乗客は特に少ないはずで空室が多かった。  俺はドアをノックされる前に、船員を呼んだ。 *** 「おいおい、どういうことだ?これは一体」  俺たちの客室に船員三人が倒れ、呻いているのを見て、船長は叫んだ。俺は聞いたことをありのまま話した。船長は両方の言い分から判断しようとしている。まあ、懲らしめた船員どものように特段こすずるい人でもないだろう。  船長は大きな虹色のバンダナをしていたが、端から真っ赤な髪の毛がのぞいていた。背はすらりと高く180くらい、目の色も髪と同じ赤だった。俺と目があうと船長は言った。 「ふん。俺が珍しいみたいだね。まあ、無理もない。異端(ヘレシー)だしね」  異端という言葉にカミュはピクリと体を震わせた。カミュは他の船員に手当てを受け、ベッドに横になっていた。俺も事件の興奮ですっかり船酔いが醒めていた。 「それはいいとして、年端も行かない子どもを折檻したのはいただけんな。申し訳なかった。おい、毛布を渡してやれ。あと、船酔いの薬も分けてやれ。それから、これは示談金な」  船長は部下たちに指図する。毛布と薬が支給されたほかに、ずっしりと重たい革袋が渡されて、中には金貨が入っていた。 「示談金?」 「児童虐待で訴えられないようにな。忙しい時期だし、もめ事は勘弁だからな。おい、そいつらは牢に閉じ込めとけ……」  床に座り込んでいた三人の船員はそれぞれ俺に痛めつけられていて動けなかったので、カミュを介抱した他の船員達に肩を担がれて出て行った。これで室内には船長と俺とカミュだけになった。 「ま、金でしか償えないが、……お前らも訳ありな感じだし、金は要り用だろ?特にあんた……」  赤髪の船長は俺の方を指さした。 「あんた、臭うぜ?……俺と同じ火の民の子孫のようだが、だいぶ他の血が混じってるな。しかも、それだけじゃない……あんたは」船長は言いかけてやめた。 「……まあいいや。怪我をしたこの子には悪いが、これで勘弁してくれるかね」  俺と船長はカミュの方を見やる。カミュは弱弱しく頷いた。 「僕は大丈夫です。消毒と包帯までしていただいたし。術を使ってごめんなさい。お金は……申し訳ないし……」  安住の地を探しているというカミュは今後の旅の備えも考えているのだろう、物欲しそうな眼をしているが、口だけは遠慮深そうに断った。 「いいからもらっておけ。こっちも忙しいんだ。ペガススに戻ったら、また荷を積んですぐにドラコに戻らなきゃなんないし、あんたらに訴えられても困る。裁判沙汰はごめんだ」赤髪の男は肩と両手をぶるっと揺らして、口角を上げた。 「またとんぼ返りするのか?」  俺は驚いて訊き返した。この船は、ドラコの港に戻ってきた翌日にペガススに向けて出港した。ペガススの港に着いたら折り返すと聞いてびっくりしたのだ。 「ああ、ドラコがあんな惨状じゃあな。……ペガススからどんどん物資を届けてやらないといけねえってのに無償じゃ誰も参入したがらない。世の中全て損得勘定で動く、非情なものさ。あんたもドラコの被害を知ってるだろ?南の村から次々と魔物の襲撃にあって壊滅状態だ。山の方に逃げて無事だった村人もいるみたいだが……」 「あ」  俺は、山から見た大火を思い出した。広範囲に燃え広がり、無数の黒煙が空に立ち上っていく様は、さながら業火に飲まれて滅びゆく神話上の村のようだった。恐ろしい光景だったが、そこに魔物の姿は影も形もなかった。あの村だけじゃなかったんだ。船長の話によると、魔物は南から襲撃をかけていたのか。北上の途中で通過してきた、村々は大丈夫だろうか? 「あんたらもペガススに逃げて新生活を始めるつもりなら、これぐらいは受け取っても悪くないだろ?てことで、針路の確認をしてくるから、俺はここらで退室する。何かあったら呼んでくれ」  そう言うと、俺達がお礼を言おうとするのを手で制して、船長はオーバーコートを翻して客室を後にした。 *** 「カミュ、気分はどうだ?」 「う……ん。さっきよりは痛みが和らいだよ。鎮痛剤のおかげだね。腕の打撲はあざが広がっちゃったけど」  それだけじゃない。カミュの目元もあざが青く腫れがひどくなっていた。船員の子供に対する信じられないような折檻で、カミュがこんなにも傷ついてしまったことに、俺はひどくショックを受けていた。  俺は船員にホットチャイを用意してもらって、息で冷ましながらカミュに少しずつ飲ませた。チャイには香辛料が含まれていて、鎮静の作用もあるらしく、カミュはしばらくすると眠りに落ちた。少年の体には先ほど貰った毛布がかかっており、呼吸とともに緩やかに上下している。  いろいろあったせいで船酔いが治ったかに思われたが、緊張していた意識がふと弛緩すると船の揺れが脳を直に溶かし始めたので、俺は慌てて薬を飲んだ。そしてベッドに横にならずに、胃を下に保つよう三角座りの姿勢で、毛布をかぶった。  俺には魔物に対抗するすべがないが、ドラコの村にいれば、何らかの役に立つことが出来たんじゃないかと、そんなことを思いながら眠りについた。

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